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「眼鏡をつける」ということ

風呂あがり、火照った顔を冷ますため夜風に当たろうと自室に行き、窓を開けた。
火照った顔に意識をとられていたのか眼鏡をつけるのを忘れ、ピントが合わない視界のままなんとなく向かいの建物を見ていた。1室だけ明かりがついている。

その建物にはオフィスも入っていて、1室だけに人がいるわけではない。しかし眼鏡をつけずにそれを見つめていると、明かりのついた1室しか認識できなかった。暗闇のなかにポツリと浮かぶ様は、まるで大きな建物のなかに一人ぼっちで住んでいるように見えて淋しく感じた。

もちろん実際は違う。真夜中に眼鏡をつけずに見たときと、朝になって眼鏡をつけて見たときでは、見え方が大きく変わるのだ。

所謂"病んでいる"時、視野が狭くなりネガティブ思考になっている時というのは、これと同じだと思う。真夜中に眼鏡をつけずに物を見ているのと同じ。

何かを思考する時、疲れて空腹な時と 美味しいものを食べて満たされている時では同じ事柄でも全く違った結論が出ることがある。


面白いことに、今日私の愛用している眼鏡が壊れた。つい数日前、別の眼鏡もボロボロに壊れたばかりだった。
眼鏡」をメタファーとして考えると面白い。
物事を冷静に捉えるためには眼鏡が必要なのに、今の私にはその眼鏡が壊れてしまって機能していないという事になる。これが映画だったら、この後私には何かしらのアクシデントが起こりそうだ。

幸いにも去年買ったもう一つの眼鏡があるので、これからはそれを大切に使っていきたいと思う。
明日は数ヶ月ぶりに社会に出て働く。どうか壊れませんように。

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