あなたに語る言葉を捨てる

noteを再開して間もない頃は、もう少し言葉を引き絞っていた。

しかし次第に、思考の贅肉を捨てるために、書くことで癒されるために、書くことで眠るために書くようになった。

こうやって書き散らすのは、休むためにはとてもよいのだけれど、実際のところ、つまらない。だれか、だれなのかも全くわからないだれか人間のために書いているからだ。仮に、その人のことをあなたと呼んでおこうか。

本当に楽しいのは、あなたのために書くときではない。言葉のために書いているときだ。
言葉は本質的に一人にはなりえないものなので、かならず仲間を連れてくる。
間違った仲間が隣にきてしまったときは、静かに違う、と首をふる。
間違いとまでは言わないけれど、という仲間の時は、じっと首を傾げる。

その首の揺れる音に耳を澄ませば、呼ぶべき言葉がわかって、文章ができる。
そうやって書くときの時間は、あまりな密度に凝縮されているので、凝集する力が星を生むんだ、と納得できるほどだ。

そうやって書くとき、わたしの中にあなたの影はどこにもない。
あなたに語る言葉を捨てている。でもだからこそ、あなたのことをいとしく思って、あなたに会いたいと思っている。

でも今はそうしていないから、首を傾げる音がこだまのように響いていて、あなたにも会えない。

わたしも、もうちょっとしたらあなたのために語る言葉を捨てよう。
そうしたらきっと、あなたのことがもっといとしくなる。

#エッセイ #言葉 #日記 #文章を書くこと

わたしがあなたのお金をまだ見たことのない場所につれていきます。試してみますか?