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人生が辛かったら、ニッチを模索する。

この世の中というのは、やはり社会で生きる事があまりにも優先されていて、社会で生き抜く事に適性がある人が完全に有利になっているなという節を常々感じる、今日この頃です。

で、そういう風に思っているという事は、この記事を書いている私自身が『社会弱者』という事を強く自覚している裏返しである訳であって。現に中年フリーターです。

中年フリーターというと、どういうイメージでしょうか?

まあ、世間的なイメージだと、どう考えても『人生の底辺』でしょ?お前なんか社会に必要もないから、とっととこの世の中から消えろよだの、いやととっとフリーターなんか正社員として働けよって大体は思われるかと。

でも、私は中年フリーターを辞めるつもりは全くなくって、不思議な事に中年フリーターをやりながらも、『なんだかんだで面白いなこの人生』って思います。

じゃあ、何故に『なんだかんだで面白いなこの人生』って思っているのか?それを掲題でもある通りですが、『非常識』を模索しているからです。

常識的な生き方とはオサラバする。

まず社会弱者になる原因というのですが、かなりの高確率で『生命力の無さ』が原因になる事が多いです。何故かと言えば、やはり社会(お金が絡んでいる事)というのは『競争』で成り立っている部分が大きいからです(※しかしながら競争も必要で、競争があるからこそ、サービス品質が向上してきたという経緯があります)

で、競争に適応するには何が必要かと言うと、結局は生命力がとても重要になってくるのです。知性や知能で競争に優位に立てる事も出来るのでしょうが、生命力が無ければ、その知性や知能をフル活用出来ないのです。

それでこの世の中のありとあらゆる『常識的(または再現性の高い)な稼ぎ方』というのは、ほぼほぼライバルが乱立しまくっています。ライバルが乱立しまくっているという事は、それだけ生命力が必要だという事です。つまりは生命力が弱いと到底ムリゲーという訳であって。

なので、生命力が無さすぎて人生がしんどいってなったら、そもそも常識的に生きようという行動指針そのものが全く以てフィットしていないという事実に早々に気付くべきであって、そこからニッチな行動を少しでもいいからとっとと取り入れ始めて循環させていかなければならないのです。

ニッチも厳選しなきゃダメ。

で、ニッチな行動をすればとっとと自分の人生なんかすぐに開花する!ってなるかというと、残念ながらそうでも無いんですよね。

例えば、私なんかはオナニーを5年間しないというニッチな行動を取っていた時期がありましたが、正直何の効果も無くって、オナニーを習慣的にした方が全然人生楽しいじゃん!っていう結論に至っております。

なので、ニッチな行動をしてもいいけれども、その前にそのニッチな行動そのものを吟味してみたり、それ相応に行動してみて(※大体3か月は見るべきだと思います)、なんかうまくいかないなーだとか楽しくないなーって思ったら、そのニッチな行動は全く意味無いよって事です。

後はニッチな行動を模索する以前に、生命力が弱いながらも自分自身の長所を探っていくという行為もとても大切です。例えば、人よりも体力にハンデを抱えているのにも関わらず、体力を使った行動を起こして成果を上げようとしても、成果なんて上がる訳が無いですよね?

なので、私は自分自身と常に向き合い、それを社会のニッチな部分と結び付けられるか?を常に考えています。

資源が少なくても生きていける

後、生命力が弱い事って大きなデメリットとしてとかくクローズアップされがちなんですけれども、大きなメリットもあります。

それは資源が少なくても生きていける事。

生命力の強い人って、資源が多くなければ生きていけないんです。それはお金だとか資産だとか人脈だとか。

でも、生命力の弱い人って、そんなん無くても生きていけるって人が大半だと思います。恐らく質素暮らし(シンプルライフ)に凄く適性があるのではないでしょうか?

故に、この先の日本社会にも実は強いんじゃないかって思ってます。今の世の中無料で出来るサービスは色々あるし、そもそも生命力が無ければお金を浪費する機会も、生命力が強い人から比べれば無いと思いますので。

生命力が少ない事は、社会生活を営む上でどうしてもデメリットな部分がフォーカスされがちですが、それを逆手に取って、自分なりの良い生活を目指してみては如何でしょうか?

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