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『いつでも行ける』という『機会損失』

どうもお世話になります、たよちです。

私はどこかに出掛けるのが好きな人間です(※ただ出来る限り、1人で行動しますが)。なおかつ旅行も好きなので、どうしても『地元地域』というのは疎かになりがちだな、とは思っていました。

その根源だろうと思っているのが、今回の掲題でもある『いつでも行ける』という価値観です。つまりは、『どうせいつでも行ける距離にあるのだから、なかなか行く事が無い所、今のうちに行けるであろう所に行ってしまえ』という心理が働くのです。

でも、よくよく考えると(※よくよくじゃなくても考えられる方は多数いらっしゃるかと存じますが)、妥協?して地元の日帰り温泉なんかに赴いた時って、そんな後悔した事あるっけかな?ってふと思った訳です。というか、ほとんど無いんじゃないかな、と。

そう、掲題の通りになりますが、『いつでも行ける』という先入観や思い込みは、『機会損失』な訳です。

逆にですよ?旅先でも、施設の内容が良く無かったりすると、結局行かなきゃ良かったなぁって感じでゲンナリするものですし、良い施設も毎回通っていると、通い始めた頃の心の充足感は得られなくなる訳です。悪い意味での『慣れ』ですよね。

それで、ある一定以上の『旅費』を支払ってまで、そこに行く価値はあるのかよ?となってしまう訳です。例えば、新幹線なんかですと、東京⇔名古屋間を往復するだけで2万円吹っ飛びますからね。東京⇔新大阪間だと3万円になります。その『旅費』を吹き飛ばす位の感動はあるのかな?と。正直最初とか2回目は楽しいと思いますが、それ以上の回数になると『ああ、いつものあそこね』という感覚に陥るのが相場ではないかと。

それに対し、地元地域の施設に行くにあたって、『いつでも行ける』というネガティブな価値観はありますが、なんせ『旅費』が掛かりません。また地元からちょっと離れていたとしても、旅費はそこまで掛からないでしょう。

で、冒頭の部分で説明をした通りにはなりますが、『来なきゃ良かった』という施設ってそんな無いはずなのですよ。それで混雑する位人気のある地元の施設であっても、地元であるアクセスの良さを利用して、閑散とした時間帯を狙えば、ストレスを軽減させて、心の充足度は高くなるはずなのですから。

ただ、『いつでも行ける』を通りこして、『もう飽きた』になったら、黄色信号になるのかな?って思っています。『もう飽きた』のシグナルが灯った時は、他の施設やサービスや趣味を模索する時期なのでは?と思ってます。

それこそ、そういう時期にお高い『旅費』を支払って、どこか遠くに出掛けるなんてのも良いのかも知れませんし、やっぱり『旅費』を支払うのは嫌だというのなら、地元近郊地域に限定して、何かを模索するとかですかね。

皆さんも『どうせいつでも行ける』場所、無いですか?

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