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長編連載小説 Huggers(49)

沢渡は最後の頼みの綱にすがる。

沢渡  8

 今、ミシガン州は、土曜日の夜の九時半だ。
 11月の雨の日曜日の昼前、沢渡はパソコンの前にすわってZoom
を開き、詩帆の3つ違いの弟、森本仁志がミーティングを開始するのを待っていた。

 「出て行ってもらいます」と言い放って西野裕子の部屋を飛び出した後、沢渡は辻のところには寄らなかった。社長にも何も報告しなかった。
 その日の夜、アメリカの仁志にメールをした。仁志のメールアドレスは知っていたし、それまでに何度でもメールをする機会はあった。それでも連絡しなかったのは、仁志ならばたとえ知っていたとしても、詩帆の行方を教えてはくれないだろうという確信と、ある意味、最後の切り札として取っておきたい気持ちがあったからだった。
 仁志へのメールには、無沙汰の詫びと、先月出産だった仁志夫妻の第一子誕生への祝い、それから都合のいい時間、できればこちらの日曜日にZoomで話したいということを、伝えた。翌日来た返信には、義弟らしく用件のみ、出産祝への礼と、「了解しました、では今週の日曜日、日本時間の午前11時半に」というメッセージとミーティングのURLがあった。詩帆のことには一言も触れていなかった。そのメールを見たとき、沢渡は仁志が詩帆の行方を知っている、すくなくとも家出してから一度は会っていると直感した。

 ミーティングの開始を待ちながらパソコンの横においてある二枚の写真とカードを見ていた。写真に写っているのは赤ん坊だ。髪の毛のほとんどない色白の赤ん坊が、クマの絵のついたかわいらしいバスローブにくるまれて写っている。あどけなく唇を半開きにした横顔の寝顔が、どこか詩帆に似ている気がしたが、それはもちろん父親である義弟に似ているということだろう。
 カードには「女の子が生まれました、紗智(さち)です、よろしくお願いいたします。」と書かれている。幼い感じのする丸っこい文字はおそらく仁志の妻が書いたものに違いない。
詩帆は知っているのだろうか、と思った。
 もちろん知っているだろう。義母と連絡をとっているのだから。
 義弟夫婦も結婚してから長い間子供ができず、渡米前は不妊治療をしていたはずだ。アメリカで治療に成功したのか、それとも様々なプレッシャーから逃れたことが功を奏したのか。
 仲の良かった義妹の妊娠出産を、詩帆はどのように受け止めたのだろうか。ぼんやり写真を眺めていると、ミーティングの入室が許可され、仁志がカメラをオンにした。
 去年の正月から約2年ぶりに見る、少し緊張した表情の義弟の顔が映し出された。おそらくリビングだろう。うしろにソファセットが見える。土曜の夜、ちょうど夕食が終わってくつろいでいる時間なのだろう。仁志はどこかのスポーツチームのロゴの入った赤いTシャツを着ている。
「お久しぶりです、お兄さん」
「ご無沙汰してます」
 なるべく妻の実家に寄り付かないようにしていたので、義弟との距離感をうまくつかめず、ですます調で話すのか、義兄として年下に対するように話すのかも迷った。
 気まずい空気を破るように、背後で赤ん坊の泣き声がする。
「あ、赤ちゃん?」と言うと、相手もほっとしたようにわずかに微笑んだ。
「あ、はい」
「遅ればせだけど、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 仁志はかしこまって頭を下げてから、恐る恐る言った。
「あのう、ご覧になります?」
「もちろん。見せてよ」
 弟に対するように自然に話しかけていた。
 仁志と交代に、写真よりもだいぶふっくらした赤ん坊を抱いた仁志の妻が、ニコニコして画面に現れた。「初めまして~サッチーでーす」
仁志の妻は赤ん坊の顔を画面に向けて、おどけた声を出した。
「うわあ、可愛いなあ」
 実際に見ると、うらやましいよりも何よりも、とにかくいとおしく優しい気持ちになる。
 ひとしきり赤ん坊をほめたあと、また義弟が画面に戻ってきた。
「ああ、あの、仕事のほうはどう?」
 義弟は日本企業の現地事務所に配置されている。
「ええ、まあ、だいぶ慣れました」
 沢渡も義弟も、もともと口数の多いほうではない。これ以上前置きは不要と思った。
「なんの話か、大体わかってると思うけど」
 仁志はうなずいた。
「姉のことですね」そして顔をくもらせた。
「ご迷惑おかけしてます」
「そちらに……居るんでしょうか?」
 微かな期待をこめて、沢渡はたずねた。
(つづく)

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