ブレる世を生きる日々だ

生き急いでるから
基本写真がぶれます

ひさびさに本当に勢いでオハラブレイクに2人で車走らせた友だちのむさんとお茶しました。
ケーキなんて食べてみたりして。
ぶれてる。
写真。
信じがたい。
のむさんはまっすぐタジマのくだらない話を喋りすぎる話を面白いと聴いてくれる貴重な友だちです。
離れてても友だちだなぁと思います。大人になってよかったなと思う大きなことの一つです。
またお茶しよーと言ってわかれましたが、また何ヶ月後かでも普通に同じようにおしゃべりしてると思います。

これはある日作ったパッタイ。
写真が、ぶれます。
なんのために撮ったのかまったくわかりません。
桜海老が足りなかった。
でもなにもブレて写ってなかったから完璧と言えば完璧になったはずです。
これは、ぶれててラッキーだったのですか?
そう、そういう考えもありますね。

話せる友だちが何人かいてくれてるおかげで楽しいです。
昔から大体1人でもたのしそうだねとか言われるんですけど、1人で楽しいのか、どうですかね。誰かいれば誰かとの楽しさはあるし、1人でも1人での楽しさが皆さんきっとあるでしょう。
線引きはあるけど、線引きに囚われる必要はないとは思います。
だってどんなときも生きてるし。
それだけです。

辛いとか腹立たしいことなんてのは起きるのが常ですからそれにいちいち囚われません。
するとそれは常でなくなるのです。

写真はブレる。
いいじゃない。それはそれ。
どうしてもおさめたかったらおさめるでしょう。
いいじゃない。これはこれ。
今日もだれかが笑ってだれかは泣いて明日誰かは笑えるでしょう。
そうやってみんなで楽しさ回せたらそれでいいじゃない。

そんだけじゃ済まないこともわかっているよ。

いいじゃない。それはそれ。これは、これ。

だいすきなひとも今日も楽しく生きていますように。
ぶれても完璧でなくても。

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