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小さな死生学講座第6回

死に向かう高齢者が生きる性

(本稿は、大林雅之「死に向かう生と性−高齢者はいかに性を生きるか–」(拙著『小さな死生学入門-小さな死・性・ユマニチュード-』(東信堂、2018年)所収の【ダイジェスト版】です。)

1)はじめに

現在の日本における超高齢社会では、「認知症」や「介護」などの話題が支配的ですが、自立した生活を営む健康な高齢者についても重要な考慮が必要なことは言うまでもありません。今の社会では、元気な高齢者が自立し、充実した生活を送ることが難しい問題が山積しています。これらの問題を解決するために、ここでは「高齢者の性」に焦点を当て、それを肯定的な視点から考察することによって、元気な高齢者のあり方に対する展望を開きたいと思います。

2)高齢者の「性」への視点の変遷と限界

日本における高齢者の性についての学術的な議論は1970年代後半から始まり、大工原秀子の研究(本講座第5回で紹介しています)が「高齢者の性」を受容する重要な先駆となりました。しかし、依然として「介護」や「福祉」の文脈では、「高齢者の性」は回避すべき「困った問題」とみなされています。また、高齢者を新たな市場として捉える「性」産業も登場しており、健康指向や治療薬の影響により高齢者の性への関心が高まっています。このような中で、肯定的な議論もなされるようになりました。

3)「高齢者の性」を肯定する視点

①ユマニチュードの視点

「高齢者の性」に対する肯定的な視点としては、介護現場で注目されているユマニチュードの視点が挙げられます。ユマニチュードは、高齢者が人間らしい自立した生活を送る権利を持つという考え方であり、その中で性に対するアプローチも重要視されています。

カナダの事例では、介護施設でダブルベッドの導入が問題となりました。施設のスタッフは、高齢者の性行為に対して衛生上の問題としてダブルベッドを提供しないという意見がありましたが、これは高齢者の人間性や自立を無視したものでした。ユマニチュードのチームは、高齢者の要望を尊重し、性に対する自由なアプローチを提案しました。このようなアプローチは、高齢女性が自分の性的欲求を満たす手段を持つことができ、尊重された存在としての尊厳を取り戻すことにも寄与しました。

例えば、頻繁に自慰をする高齢女性のケアについて考えられました。従来の対応は、手を縛るというような制限的な方法で、これは高齢者の性的欲求を無視した対応でした。ユマニチュードのアプローチでは、性の側面を理解し、必要とするケアを提供することが重要とされています。その結果、女性にセックス用の玩具を提供することで彼女の自己決定権と人間性を尊重し、高齢者としての個々の要望に対応する姿勢が取られました。

ユマニチュードの視点では、高齢者の性に関する対応には個人の自律と尊重が必要であり、ケアする側の権力を脇に置き、高齢者の自由を重視する姿勢が重要視されます。このようなアプローチにより、高齢者の尊厳を守りながら、より人間らしい自立した生活を送ることができる環境が模索されています。

②「性的支援」の視点

坂爪慎吾らの活動では、「ユマニチュード」の視点に沿った性的支援が行われていますが、同時に限界もあると考えられます。

具体的な事例として、中田さん(仮名・60代)が進行性の難病により身体の自由が利かず、射精に達することも困難な状態にありました。そこで、坂爪らが所属する一般社団法人ホワイトハンズが「射精介助」というサービスを提供しています。このサービスでは、介護スタッフが訪問し、射精を介助することで男性の性的欲求に応えています。

この対応については、生理的な欲求に応えることが優先されており、生物学的・医学的対応としての域を出ていないと指摘されています。また、このような性的支援が男性の視点からのみ語られているという問題も指摘されています。これまでの文学作品においても高齢者の性に関する描写は男性が中心であり、女性の視点が欠落しているという点も挙げられています。

上記の性的支援は、生活の中でのプライバシーの確保や性的自立の支援に重点が置かれており、高齢者が最期まで人間らしい生活を送るために必要な性の健康と権利が守られるような仕組みづくりが求められています。しかし、男性の視点に偏った性的支援が行われている面も考えられ、女性の視点を含めた包括的なアプローチが必要とされます。

③瀬戸内晴美(寂聴)への手紙

瀬戸内晴美(寂聴)の視点も、高齢者の性を超越すべきもの、忌避すべきものとして捉えていることが示されています。読者からの手紙で、濃密な男女の恋愛関係を描く瀬戸内に対し、高齢者のセックスに対する描写については意外に淡白だと驚きの声が寄せられました。

手紙の中で、81歳の男性が自身と74歳の妻の日常的な性的関係を述べ、老人のセックスに対する一般的な先入観に異論を唱えています。このような批判が可能なのは、従来の一般的な「高齢者の性」の論じ方に、女性や「死に向かう存在」としての高齢者の視点が欠けていたからと考えられます。

瀬戸内は、その小説などの中で高齢者の性に対する肯定的な描写がなく、「排泄器官だけの分身」という表現を用いています。このような見方によって、「高齢者の性」を超越すべきもの、忌避すべきものとして捉えていたのだと考えられます。       

4)死に向かう「高齢者」にとっての「性」

森崎和江は、性が文化の所産であり、「老いのセクシュアリティ」も時代の観念に影響されると指摘しています。また、老いた女性がセクシュアリティを持つことに気づき、自在な境地でありうることを述べています。

さらに、森崎は炭鉱で働く女性たちの話を通じて、「エロスと労働の共働き」が老いと性の結びつきに関連していることを示しています。このような老いと性の結びつきは、ジョルジュ・バタイユの「小さな死」という概念とも関連していると考えられます。

5)まとめ

「死に向かう存在としての高齢者」こそが、「性」の意味を吟味できるのではないかと考えます。「高齢者の性」を「社会を構成する人間」としての本質と捉え、高齢者問題を「性」の視点から再構成し、高齢者を「死に向かう存在」とすることで、「個別的人間存在」という否定的な呪縛から解放されるのではないでしょうか。「高齢者の性」を肯定的に捉えることで、死の恐怖の根源とも考えられる「個別的存在としての自己」をめぐる困難性を、「個別的人間存在への否定」である「小さな死」と「性」を生きることで克服できる可能性があるのではないかと考えます。

文献(順不同)

大工原秀子『老年期の性』(ミネルヴァ書房、1979年)
坂爪真吾『セックスと超高齢社会 「老後の性」と向き合う』(NHK出版、2017年)
イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ(本田美和子・日本語監修)『「ユマニチュード」という革命』(誠文堂新光社、2016年)
瀬戸内晴美・瀬戸内寂聴『わが性と生』(新潮社、1994年)
森崎和江「老いのセクシュアリティ−女にとってのいのちと性−」、井上俊ほか(編集委員)『岩波講座 現代社会学 第13巻 成熟と老いの社会学』(岩波書店、1997年)所収。
ジョルジュ・バタイユ(森本和夫訳)『エロスの涙』(筑摩書房、2001年)
酒井健『バタイユ入門』(筑摩書房、1996年)、242頁。
大林雅之「二つの「小さな死」−その邂逅の軌跡−」、第21回日本臨床死生学会記録『サイエンスとアートとして考える生と死のケア』(エム・シー・ミューズ、2017年)、所収。
大林雅之・徳永哲也(責任編集)『シリーズ生命倫理学 第8巻 高齢者・難病患者・障害者の医療福祉』(丸善、2012年)
大林雅之「老いにおける性と死」、東洋英和女学院大学死生学研究所(編)
『死生学年報2016 死から生への眼差し』(リトン、2017年)、所収。

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