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TBS NEWS「いらすとキャスター」誕生の舞台裏(前編)

深津さん目線での「いらすとキャスター」爆誕☆舞台裏はこちら↑


こんにちは、池田です。今回は、元報道記者目線で「いらすとキャスター」誕生までの話をしたいと思います。

■ことのはじまり


「ニュースが届きにくい30代以下にTBSのニュースを届けたい」


およそ1年前。博報堂出身で「SIX」クリエイティブディレクターの大八木翼さんと「THE GUILD」代表でピースオブケイクCXO(Chief eXperience Officer)の深津貴之さんと「TBS NEWSの未来」について雑談していた所、「バーチャルキャスターを創ってみたら?」という話になりました。

「他社はどのようなキャスターを創っているのだろう?」と調べてみた所、フジテレビの杏梨ルネ(あんりるね)さん、共同通信デジタルとソニーの沢村碧(さわむらみどり)さん、日本テレビのアンドロイド・アオイエリカさん、中京テレビの大蔦エル(おおつたえる)さん等、CGやテクノロジーを使ったキャスターは、なぜか美(少)女キャラばかりでした。

「なんか違う・・・」

そんな私の気持ちを見透かすかのように、深津さん、大八木さんから提案があったのが「いらすとや」さんのイラストでした。

確かに「いらすとや」には美(少)女キャラに負けない「存在感」があり、ニュースで使用しても抵抗感の少ない「まっすぐさ」を感じました。深津さんが超速で「動くプロトタイプ」を創って、見せてくれたことで、不安も無くなり「今すぐやるべき~!」と社内で提案しました。

左から、 いらくん ・ すとちゃん ・ ロボさん(解説担当)

■問題意識

何となく、若年層のウケが良さそうだから「いらすとキャスター」を開発した訳ではありません。バーチャルキャスターの必要性を私が最初に感じたのは2011年の東日本大震災の時でした。

当時は報道局社会部に所属していて、私は全国各地から次々に送られてくる映像素材を本社で見て、VTR化の優先順位を編集担当に指示する役目でした。後に何度も使われることになる「横浜のビルの外壁が崩れ落ち、通行人が逃げる映像」を編集担当に指示しましたが、結局その映像が放送されたのは、かなり時間が経ってからでした。

テレビ報道は、当たり前のことですが「最も伝えなければならない映像(東日本大震災の時は津波の映像)」を生中継で伝え続けます。出し口が1本しかないテレビでは、他にも報道しなければならない映像があっても、L字の文字情報の形で伝えるだけで、「後回し」になっていたのです。

スマートフォンが普及した今、テレビを経由しない映像ニュースの「新たな出し方」が創れたら、取材している現場の数だけ同時にニュースが出せる・・・と考えたのです。

①取材→②素材送り→③編集→④テレビ放送→⑤動画化→⑥WEB・SNS展開・・・という従来の報道のカタチや流れを一度忘れて、「いらすとキャスター」を活用して、①取材→②いらすとキャスター→③WEB・SNS展開と、シンプルにニュースを出せるようにしたい。そんな将来像も描きながら「いらすとや」さんにプレゼンに行くことになりました。



(後編につづく・・・)