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日本選手権室内2021最終日① 橋岡優輝

橋岡が8m19の室内日本新。
森長コーチの記録の22年ぶり更新に現れた橋岡らしさ

 初日に続いて室内日本新が誕生した。日本選手権室内の最終日が3月18日、大阪城ホールで開催され男女の60mと男女の跳躍6種目が行われた。男子走幅跳では橋岡優輝(日大4年)が8m19で優勝。日大の森長正樹コーチが1999年に出した8m07の室内日本記録を12cm更新した。6回の試技中5回がファウルと大苦戦したが、その状況でも優勝と室内日本記録樹立ができたのは、橋岡の特徴が発揮できたからだった。

●競技人生初の3回連続ファウル

「やらかしましたね」
 室内日本新で優勝したにもかかわらず、橋岡優輝はこの言葉を口にした。
 1回目から4回目まで連続ファウル。踏切板をシューズの先が越えてしまい、何cm踏み越えたかを確認するため、粘土板に残った痕跡を何度か確認した。3回連続ファウルなら、その時点でベストエイト(上位8人)に残れず、4回目以降の試技は行うことができない。本来なら3回目終了時点で順位が確定するが、今大会は出場者が8人だったため、全員が6回の試技を行えることになっていた。
「競技人生で初めての“サンファー”です。それも(室内)日本選手権で。やってしまったな、と。メンタルに来ました」
 原因はスタート地点の“下り傾斜”だった。会場のレイアウトの都合で、助走のスタート地点がトラックの外側になった。室内のコーナーは急角度の曲線となるため、走りやすくするために内側に向かって傾斜がついている。助走の開始場所が下りになることは屋外ではあり得ない。
 日大の森長正樹コーチが説明する。
「普通なら10cmファウルしたら、助走開始位置を10cm後ろにすればいいのですが、今日は下りでいつもと違う加速がついてしまうので、開始位置を20~30cm下げてもまたファウルしてしまいました」
 さらにトラック&フィールドの室内競技は、木製のボード(板)の上にオールウェザー舗装を敷設する。ボードのたわみがあり、接地したときの感覚が屋外とは異なる。この日の橋岡は「助走がいつもと違う跳ね方で距離感にズレもあった」と言う。
 しかし5回目の試技で「助走前半はいつも通り(重心への)乗り込みをやり、中盤でしっかり刻む意識の助走」を行うことで、室内日本新を跳ぶことができた。
 ボードに合わせることに苦労はしたが、助走自体は昨年の日本インカレで8m29(-0.6)を跳んだときより「ムラがなくなって良い流れの助走」ができるようになっていた。
「これまでの8m20前後以上の跳躍と比べても、すんなり跳べました。力はついているかな、と感じられました」
 橋岡が破った8m07の室内日本記録は、森長コーチが1999年に出したもの。
「この大会に出たのは恩師の記録を更新することが第一目標でした。なんとかクリアできてよかったです」
 6回目もファウルで、6回の試技中5回ファウルをしても2位に40cmの大差で勝つことができた。そしてコーチの室内日本記録を更新できた。試合後の橋岡はホッとした表情を見せ続けていた。

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●国際大会など大舞台に強い理由は?

 とにかく国際舞台に強い選手である。
 橋岡は大学2年だった18年に出場したU20世界陸上で金メダリストになると、翌19年のアジア選手権とユニバーシアードにも優勝した。世界陸上では97年アテネ大会で9位になった森長コーチが日本人最高順位だったが、橋岡が19年ドーハ大会で8位入賞して上回った。
 国際大会で力を発揮できる理由を橋岡は、「国際大会を戦っている、という意識がないんです」と話したことがあった。海外の試合でも国内の試合でも、大きな試合でも小さな試合でも、今の自分がやるべきことに集中する。それ以上のものでも、それ以下でもない。
 しかし実際には、国際大会や日本選手権といった大舞台で、その心境になることは難しい。その点だけでも普通の選手とはメンタル面が違う。
「相手が強くなるほど試合に臨むわくわく感が強くなりますが、一番は純粋に陸上競技を楽しむことだと思います。遠くに跳ぶために、自分がやりたい動作をする。そのためにはどうすればいいかを考えることが楽しいし、それができたときにも“ウォっ”という驚きと喜びが感じられます」
 その橋岡が室内とはいえ、日本選手権の舞台で3回連続ファウルをやってしまった。室内競技会の特殊な状況に対応できなかったが、国際大会でも予想外のことが生じるケースはある。そのとき3回目までに対応しなければベストエイトに漏れてしまう。
 橋岡にとっては悔しい“サンファー”だったが、5回目に室内日本記録を跳んでくるところは、試合中のアドバイスで動きを修正できる橋岡らしさが現れた、ともいえる。2年前のアジア選手権もユニバーシアードも、試技を重ねる中で動きを修正し、優勝に結びつけることに成功してきた。

●大学最終戦で感じた「実りのある4年間」

 橋岡は一昨年、森長コーチが92年に出した8m25の日本記録を8m32に更新した。同じ大会で城山正太郎(ゼンリン)が8m40とさらに更新したが、27年ぶりに走幅跳の歴史を動かしたのが橋岡だったことは、橋岡にとっても森長コーチにとってもうれしいことだった。
 そして室内日本記録を更新した今回の日本選手権室内は、橋岡にとって大学最終戦でもあった。
「かなり実りある4年間でした。次は社会人として日本記録を更新したい。今年は8m40を目標に、そして東京五輪のメダル獲得を目指します」
 大会終了後の夜に、森長正樹コーチに電話取材をすることができた。
「去年より一段階強くなっています。タイムはまだ出ていませんが、走るスピードは明らかに速くなっている。踏切板にさえ合えば、8m20前後は行くと思っていました」
 大学での4年間は技術的なことを突き詰めるより、走力や体力、試合展開への対応の仕方など、基礎的な部分をアップさせることにエネルギーを費やしてきた。
 次は踏み切り局面など、技術的にも今より一段高いレベルを目指す段階に入る。卒業後も橋岡の指導を続ける森長コーチは、「ようやくそこに取りかかれますが、まだ早いかもしれません」と考えている。本格的に着手するのは東京五輪後になりそうだが、橋岡は森長コーチの予想を上回る成長を見せてきた。国際大会での強さも加わり、東京五輪本番で新たな橋岡が見られるかもしれない。
 卒業後の可能性に十分な手応えを感じられた大学最終戦となった。

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TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト


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