見出し画像

【木南記念2021】寺田明日香が100mハードル日本人初の12秒8台

ママさんハードラーが予選で12秒87、決勝で12秒89と快記録連発
12秒84の五輪参加標準記録突破は5日後の布勢スプリントか?

 日本グランプリ・シリーズの木南道孝記念が6月1日、大阪市のヤンマースタジアム長居で開催され、女子100mハードルの寺田明日香(ジャパンクリエイト)が予選で12秒87(+0.6)の日本新をマークした。自身が今年4月の織田記念で出した12秒96を更新し、決勝でも12秒89(+0.3)と従来の日本記録を上回った。6月6日に鳥取県で行われる布勢スプリントで、12秒84の東京五輪参加標準記録突破に挑戦する。
 レース後のオンライン会見と競技会終了後の電話取材から、一問一答形式で寺田のコメントを紹介する。
 また、男女混合4×400mリレーでも、青山聖佳(大阪成蹊AC)、松本奈菜子(七十七銀行)、佐藤拳太郎(富士通)、川端魁人(三重県教員AC)の日本が3分16秒67の日本新をマーク。世界陸連が定めた規程で16チームが東京五輪に出場できるが、その規程で15番目に浮上。東京五輪出場の望みが出てきた。

画像1

●「うれしくない日本記録」

――日本新のうれしさと、12秒84の標準記録を切れなかった悔しさは、どちらが大きかったのでしょう?
寺田 悔しさですね。悔しいですよ。こんなにうれしくない日本記録は初めてです。
――予選はタイマーが12秒88で止まって、正式計時が出るまで少し間がありました。その間、もしかして?という期待を持って待っていましたか。
寺田 84まで上がることはないだろうと思いました。12秒88かもしれませんし、87かもしれない。でも84を切れていないのは間違いありません。88でも87でも、どっちでもいいか、と思っていました。
――長女の果緒ちゃんはどんな反応でしたか?
寺田 娘はまだ学校で、連絡が取れていないんです。夜に電話したいと思いますが、たぶん『ズルいー』って言うか、『えー、惜しいー』って言うか、そんな感じだと思います。予想としては。
――高野大樹コーチとは、技術的な部分ではどんな振り返りをしましたか?
寺田 予選はスタートが上手く行けなかったね、というざっくりした話をしました。後半は織田記念で刻みきれずにぶつけたところを課題にやって来て、そこはうまくできました。決勝も後半は変えずに、スタートをしっかり出よう、みたいな話をしていました。しかし決勝は、スタートから3台目まではよかったね、と言ってもらえましたが、後半は自分の感覚も高野コーチが見ていてなかでも、崩れた感じがありました。
――詳しく説明していただけますか。
寺田 インターバルを刻み切れていなかったのかもしれません。リード脚はねじれて上げる方ですが、よりねじれてハードルに向かって行く感じが7~8台目くらいにありました。(踏み切り位置が)近いと感じたのか、速く行かなきゃと思ってねじってしまったのかわかりませんが、ドドドーっと速いリズムでは行けませんでした。
――陸上競技に復帰後、ずっと取り組んでいることの1つだったと思いますが?
寺田 まだ不完全ですね。予選の方が綺麗にできたと思いますが、決勝だと出ちゃいましたね。
――よかったところは?
寺田 重心を前に乗せることや、踏み切りで煽らないようにすることは、考えなくてもできるようになっている部分もあります。決勝の後半で崩れたのでまだまだですが、それでも12秒8台を2本揃えられて、風も2本とも追い風0mいくつでしたから、地力は復帰後2年間で上がっていると思います。

●陸上競技を一度離れたことで記録へのモチベーションがアップ

――予選の前にすれ違ったとき、「天気が良くてやばいです」というニュアンスのことを口にしていました。
寺田 天気が良くて条件が良いときに記録が出なかったら、自分が行けていない、っていうことなので、ドキドキするなあ、という意味でした。スタート前はナーバスになりましたね。
――寺田選手が復帰した19年当時の日本記録は13秒00でした。その年に寺田選手が出した日本記録は12秒97で、今年4月の織田記念で出した日本新も12秒96。まだ差のある12秒84に挑戦できるのは?
寺田 一度、陸上競技を引退したことが大きいと思います。ずっと陸上競技をやり続けていたら、0.01秒の重みを感じていたかもしれません。一度離れて、考え方に制約がなくなったことがプラスに現れたのでは。
――確かに長く取材していると、記録はそう簡単に出ないと思ってしまいます。
寺田 私もうじうじしていることはありますよ。出ない、出ないとぼやいていますが、95、94とか刻むのでなく、ボーンと前に行けると思っています。ハードルは10台ありますから、1台で0.01秒速くなれば0.1秒変わってきます。
――引退する前の最後のシーズン(13年)は、13秒81がシーズンベストでした。記録を0.1秒上げることへのプレッシャーがあったのでは?
寺田 ダメな頃は13秒05(09年に2度マークした自己記録。当時日本歴代3位)で走ったときの残像がすごくありました。その記録で走った自分がいるのに、なんで13秒8でしか走れないのか、と。走れないこと、人の背中ばかり見て走ることにすごくストレスを感じていました。
――それを時間が解決してくれたのか、ラグビーをやったことが解決してくれたのか。
寺田 どちらもあると思います。離れてみて、ラグビーは人が評価するところもありますが、陸上競技は自分が速く走ればタイムに現れます。遅かったらそれもタイムに出ますが、はっきりしていていいなー、と思えるようになりました。復帰したとき、こんなに離れていても13秒4台で走れて、13秒8だった頃の自分に勝てて、すごく安心できました。それはすごく大きかったです。

画像2

●布勢スプリントに合わせている中での12秒8台

――今回12秒台を2度出して、標準記録の12秒84への距離感はどう変わったでしょうか。
寺田 正直、12秒96を出したときも今日も、あまり変わっていません。条件が揃い、かつ、自分の状態を安定させられれば出ると思っています。そんなにすごく遠いとか、近くなったとかはないですね。やるべきことを粛々とやって、タイミングが来たら出るかな、という感じです。
――昨年、短いシーズンでもエネルギー切れを起こした反省で、12月頃には300 mなどの長い距離も走っていたと思います。4月の織田記念、5月のREADY STEADY TOKYO、6月の木南記念と連戦して、その取り組みの成果はどう感じていますか。
寺田 READY STEADY TOKYOの後、木南記念までもう一度、けっこう走り込みをしてきました。私たちの間では「布勢合わせ」と言っているくらい高野コーチは今回、疲労抜きをさせてくれませんでした。その中でも12秒8台で走れたので、走り込みはかなり効いているのかな、と思っています。ちょっと悔しさもありますけどね。あれだけ走らないと効かないのかよ、って距離を走っていますから。
――布勢スプリントでは後半を刻めれば標準記録も出せると?
寺田 そうですね。布勢では(気象条件など)コンディションが良くなることを信じて、疲労を抜いて、良いコンディションで行きたいですね。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?