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過去は変えることはできないが、未来は変えられる。

最近まで、こう考えていた。

誰しも、過去を悔やんであの時、あの瞬間に戻りたい。
そう思ったことはないだろうか。
僕は、そんな後悔をしてばかりだ。

ただ、いくら泣きわめき悔やんでも、過去に戻ってやり直すことなどできない。
それなら、これから向かってくる未来をより良くするために、今、自分の行動を変えることができれば、未来も変えることができるのではないかと思っていたのである。

頭の中で、無意識に逆算していて、成功や成長を想像して、その想像(未来の状態)を実現させるために今の自分の言動を選択していこうという考え方だ。


これまでは、その考え方しかもっていなかったが、
最近、逆の考え方もありだな、と思うようになった。


未来は変えることはできないが、過去は変えられる。

過去は変えられるだと⁉
そんなことがあっていいのか?と思うかもしれない。
最近まで僕もそうだった。
だけど、ここでいう「過去」は詳しく言えば「過去の価値」を指す。

誰しも迷い、思い切って決断し、それでも失敗をする。
うまくいかない。一時の感情で、誰かを傷つけてしまう。汚い言葉を吐き捨てる。
そして悔やむ。なんであんなことしたのだ、あんなこと言ったのだと。

変えられるといっても、その起きた事象や状態は変えることはできない。
確かに、失敗をしたし、うまくいかなかったし、傷つけてしまった。

だが、後悔した今、過去の経験をもとに、現在の行動、決断を改め、変化することができたのなら、失敗で止まったままの過去は動き出し、価値あるものになると思う。

何なら、過去に失敗した出来事を、今、そしてこれからの自分が成功したり、より良い状態に近づくことができたなら、過去の出来事は失敗ではなく、成功のためのワンステップに過ぎず、重要な気づき、と呼び方を変えていいだろう。

こうして過去は変えられるものだと考えるようになった。

だからこそ、いい経験だ、なんてことは、事が終わってすぐわかるものじゃなくて、その経験をふまえて、何かこれまでの自分に変化を加えたり、その状況を打開するために努力したりと、”過去”から”いい経験”に変身させるアクションを起こさなければ、到底言えないことなんだと思う。

では、未来は変えられないという考えについて述べよう。

これから起こることは親が知っているわけでも、歳をとればわかるようになるわけでもない。
誰が知っているか、そう聞かれたら、神様、と答えるくらいしかない。

我々が思う未来は、単なる予想や想像に過ぎない。

親が子供に、早く服着なさい!風邪ひいちゃうよ!といい、
なかなか言うことを聞かず家を走り回る子供は、翌日風邪をひく。
ほらね?言ったでしょ?言うことを聞かないからよ!

このたとえ話。親が神様なわけではない。
子供より、何十年も長く生きた”経験”によって浮かんだ、単なる予想があたっただけだ。

神のみぞ知る、これから起こる出来事を、私たちは変えることはできない。
なので、前半に述べた、逆算して今の行動を判断することは、イメージから掻き立てられたものであって、本当にこれから起こる未来の状態からの逆算ではなく、自分を理想に近づけるための行動基準に過ぎない。

そんなことから、未来なんて誰にもわからないし、なるようになるもので、変えられないなと、そう思うようになった。

ドラマや映画みたく、未来がわかる人が本当にいれば、未来なんて簡単に変えられちゃうんだろうけど、それなら未来人は、人間にとてつもない試練や困難を与えたがりな教育者だね。

それに、ワクワクするのは別にして、未来に対する不安に駆られてばっかよりかは、過去を変えるために多くの行動を起こした方がいいと僕は思う。

そんなこんなで、未来は変えることはできないが、過去は変えられるという考え方も自分の中では、納得できるようになった。


別に、どちらかを押しているわけでもなく、一つの考え方に絞るつもりもない。
そして、これらの考え方が本当に正しいかどうかなんて、自分にとってはどうでもよくて、過去・現在・未来という時系列がある中で、自分がどう捉え、向き合っているかを、納得感のある状態にしただけだ。

間違いなく、こうして綴る考えも、今の考え方から、過去の考え方に変わり、どんどん時は過ぎていく。
どうしても過去や未来に影響されてしまう人間だからこそ、自分なりの考え方をもって過ごしていたい。

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