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1998. "頭の中を心の内を文章に"

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1998. "頭の中を心の内を文章に"

マガジン

  • 創作

  • 僕がサッカーから学んだもの

    幼少期から続けてきたサッカー。 場面場面で僕がサッカーから得たもの、感じたものを書いた記事です。

  • 自分が読んだ本の感想や本にまつわる話を書いた記事です。 ネタバレはしないように心がけています🙇

  • ごんばこ

    自分の裏側というか、奥底の本音というか、ちょっとした暴露話を含めながら綴ったものです。日常とは少し違うはけ口として書いています。

  • お言葉シリーズ

    生活の中で見つけた言葉、文章を基に書いた記事のマガジンです。素敵な言葉や文章を見つけて、少しばかり幸せになっていってください!

最近の記事

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トウキョウが僕にもたらしたもの【大学生の上京物語】

田舎から都会に出てきた。いわゆる上京ってやつ。 都会と言ってもすぐ近くに山がある、「ここって東京!?」と誰もが思うであろう「都会の田舎」だった。 これが、僕にとっては好都合だったのである。 「上京して1人暮らしをする」自分史において一つの節目でもあった。 そうした大きな環境の変化がありつつも、そこに柔らかく馴染むことができたのは、いい意味で期待を裏切った騒がしすぎない街並みのおかげだろう。 この街に来て、もうすぐ4年の月日が経つ。そして毎日原付で駆け上がったあの坂道も、

    • コイ

      恋をする度に泣いていた。 嬉しいときも、悲しいときも。 なんだって、私は泣き虫なのである。 恋多き人生なのだ。 よく笑い、よく泣く。 それでも幸せなのだ。 今の彼とは、とてもうまくいっている。 ん。 でも最近泣いていない。 そういうことか。

      • 誰かに有益なことは書けない。 誰かを前向きにすることも書けない。 ただ、私の頭の中を心の内を文章にするだけである。 深く考え込んだって良い。 どん底まで落ち込んだって良い。 私はそれを「生きる」と呼ぶ。 私の文章に、あなたは存在しない。 文中からの句読点を含む30字以上45字以下の抜き出しでもなく、140字以内に収めるツイートでもなく、私は私の言葉を連ねたい。

        • 標準語は言葉の頭が強くて、関西弁は中間が強い。 「なんでなの」と「なんでやねん」で比べてみて欲しいです。 ところで。 関西人ではない人が関西弁を使うとエセという言葉が発動されます。エセが取れる条件って何ですか。住んだ月日ですか、周囲の関西人有無ですか、やはり出身ですか。

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        トウキョウが僕にもたらしたもの【大学生の上京物語】

        • コイ

        • 標準語は言葉の頭が強くて、関西弁は中間が強い。 「なんでなの」と「なんでやねん」で比べてみて欲しいです。 ところで。 関西人ではない人が関西弁を使うとエセという言葉が発動されます。エセが取れる条件って何ですか。住んだ月日ですか、周囲の関西人有無ですか、やはり出身ですか。

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        記事

          明けた夜の 薄暗がりに 道歩く ぽつんとひとり 昨日のままで

          明けた夜の 薄暗がりに 道歩く ぽつんとひとり 昨日のままで

          書けば書くほどに、世には出せない文章が積もっていく。 毎度、未完成のまま、下書き保存。 自分の中の納得を追い求めて。 長くなりそうよ。完成までは。 しっかり時間を費やして完成させたいのかもね。 これまでの私の文章には出てくることのなかった、人物が出てきたり、出てこなかったり。

          これでいいのだ。

          「これでいいや。」 この感情を自分の中に認識すると、私は「歳をとったな」と思う。 考えることは好きな方だ。 深く考える。正解がない問いに対する、自分なりの答えを考え続ける。 この作業、私は嫌いじゃない。 没頭している感覚。 そんな自分に酔ってるだけと言われればそれまでだが。 しかし、考えることには、それなりのエネルギーを要する。 だからなのだと思う。 何がって? 考えることは、疲れる。 「これでいいや」は、それ以上を探さないことだと思う。 疲れることを拒否する感情

          これでいいのだ。

          「寄り添う」から考える言葉に出来ない思いはあるのか問題

          お久しぶりです。 急にごめんなさい。 人に寄り添ったことはありますか。 顧客に寄り添って。友達に寄り添って。恋人に寄り添って。 何だかんだ聞きなじみのある「寄り添う」。でも僕はどこか引っかかっています。 寄り添うって一体どういうことなのでしょう。 今から、ここに連ねますね。 親身になる。 そばにいる。 黙って話を聞く。 思いやる。 相手の立場に立って考える。 助言する。 何も言わない。 指摘する。 抱きしめる。 突き放す。 ぱっと浮かんだものを書きました。

          「寄り添う」から考える言葉に出来ない思いはあるのか問題

          「目的は必要だ」ただし、「絶対」とは限らない

          「日記ではない何かを書くこと」 これがこのnoteでのルールの1つである。 ただ、このnoteは日常から収集してきたものを題材にしたものである。 noteを始めた時を思い出す。 フォロワー○○人獲得するために! ○○な力をつけるために! 当時の自分に明確な目的はなかった。 . . . 最近、自分史上、一番本を読んでいる。 目的…明確なものはない。小説も、ビジネス本も、読む。 目的。明確なものはない。 目的。明確なものはない。 本屋に立ち寄り、面白そうな本を見つ

          「目的は必要だ」ただし、「絶対」とは限らない

          あなたにとって「優しさ」とは?

          お久しぶりです。お元気ですか。 しばらく投稿をお休みしておりました。 充電期間を終えましたので、またつらつらと書かせもらいます。 今日は、ある問いを持ってきました。 題にもある通り、あなたにとって「優しさ」とは?というものです。 さて、どうでしょう。早速考えてみてください。 誰もが、「○○さんって優しいよね。」と口にしたり、思い浮かべたりしたことがあるのではないかと思います。 その優しい人に該当する人の特徴って何なのでしょう。 あの時何かをしてくれたからでしょうか?

          あなたにとって「優しさ」とは?

          「好き」に必要なこと

          コーヒーが好きだ。 香りがいい。 リラックスできる。 味も好きだ。 目も覚める。 だけど、この豆がいいだとか、飲んでこれはどこの豆だとかはわからない。 家で飲む時はいつもお湯を注ぐだけ。 お店で飲む時はブレンドコーヒー、ドリップコーヒー、基本はメニューの上に書いてあるもの。 スタバで「AとBどちらにされますか?」という質問に対しては混乱する。 こだわりはない。 優しい店員さんだから「あの~、どう違うんですかねぇ😓」なんて質問する自分にも丁寧に答えてくれるが、結

          「好き」に必要なこと

          失って気づくのは「大切」だけじゃない

          ”失って初めて気づく。” これは何も、大切なものに限ったことではない。 これまであったものが、本当に自分に必要だったのか。 「○○をする時間。」これが無くなった途端に、本質的な問いが自分の中に生まれる。 例えばコロナ禍。 それまでは、どんなにやる気に満ち溢れていようと、落ち込んでいようと、関係なく時間になればグランドに足を運び、ボールを蹴っては追いかけた。 ある日、自分の生活の中で不変の行動にストップがかかった。 緊急事態宣言という前代未聞の状況の渦中に自分は存在するこ

          失って気づくのは「大切」だけじゃない

          日記ではない感覚の放出

          お久しぶりです。 2月には逃げられてしまい、3月がやってきました。 記事の更新が自分の思うようにいっていないのもあって、今日はそうですね、心や頭の限りなく外側にあるけど、体外には出ていない感覚を言葉に変えていこうと思います。 「吐き捨てる」というと、なんだか乱暴な気もしますが、気持ちはあくまで穏やかにそっと吐き捨てます。 最近、下書き欄に溜まっていく一方で、なかなか記事を公開できないまま、時間だけが過ぎていっています。 というのも、文章を書くうえで、何かすっげえもの訴えか

          日記ではない感覚の放出

          精神安定剤

          明日やろうはバカ野郎と言うけれど 心身の健康は何よりも大切だ 明らかに身体が疲れきっていたり 心が疲れているなと感じたら 明日の自分に期待!と切り替えて エネルギー回復するのもいいじゃない

          精神安定剤

          自分にとって言語化とは?

          自分の頭や心の奥底にある感情や感覚。 自分の頭や心の限りなく外側にあるけど、自分の体外には出されていない感情や感覚。 それらを言葉を用いて確実に自分の体外に放出すること、表現できること。 僕は、それを言語化の定義としている。

          自分にとって言語化とは?

          生きるとか死ぬとか

          Tumblrにも書きましたが、このフィールドにも残しておきたいので、投稿します。僕の好きなライターさんが紹介してた本です。 世界中から称えられても、世界中から叩かれても、人間いつか「死」を迎える時が来る。今読んでいる小説が、「生きる」と「死ぬ」だったり、「オトコ」と「オンナ」だったり、哲学的要素を含む内容ということもあって(そんな畏まったものではない)、それらについて自分自身考え込む瞬間がある。 本中の表現と私の考えを織り交ぜて言うと、誰もが「人はいつかは死ぬ」ということ

          生きるとか死ぬとか