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自分に正直になるツール

今日も仕事が終わった。明日からもまた忙しくなる。仕事が戻ってきてよかったなと改めて思う。わたしにとって働くという事はいきがいにつながるんだと思う。

思えば昔から働く事が好きだった。
アルバイトしている事が楽しかった。
好きな仕事ばかり選んでいるようにも思うが、考えるとそうでもない、苦手な事であっても働くことにいきがいを感じていた。

なぜなのか。
それは私の居場所を感じるからだと思う。

あなたがいて助かった
あなたに会えてよかった

そう言われる場所が私には必要だったんだと思うし、無ければ自分で作ろうという思考が私の思考である。自分で自分の居場所を構築しているように思う。

仕事が進むにつれ、自分の体調は戻ってきているようには思う。時折フラッシュバックはでるものの、昨日は相手が書いた文章を読み上げ仕事に使うという事をした。

読んだらどうなるかと思ったが何とも大丈夫だった。自分の中のチャレンジだったけど、試してみたかった。
なぜなら私は逃げたくないからだ。

問題から逃げたくない。

それは私の中にある軸である。逃げても所詮逃げられないと思っている。だから問題は潰すなり、解決するなり納得するなりして消化したい。

とはいいつつ、私にはまだ悪魔の塊が潜んでいる。
この前ある講演会に行った、その時に

なんでも出来るって、出来ることに制限ないって思えば、あなたがしたいことは何ですか?

という問いかけがあった。
それを聞いて待っ先に思ったのは、

相手を八つ裂きにして刺し殺したい

だった。何でも出来るんですよ!という笑顔の講演者。きっとプラスの望みしか想定してないに違いない。そんな話を聞きながら、ええんやったらほんまにやるでー。と微笑みながら聞き、自分の腹黒さを実感していた。

どうしたら私は納得するのだろうか。実際は八つ裂きなんかできないし、やると周りに迷惑かけるということは私の理性が何よりわかっている。

ではどうしたら悪魔な私は納得するのかと考えてみた。

*相手の落ちぶれた姿を確認する
*相手が二度と同じ事を誰にも出来ない状態を実感する

この二つだと思った。相手がドン底に落ち、二度と同じ事が出来ない状態になった事を確認できたら私の心は自由になれると思った。

たとえ私がスーパー成功したとしても、相手がより良い状態なら私は満足どころか納得しない。多分心の悪魔が騒ぎ立てる。殺せ、殺せ、殺せ。

殺してもなんともわたしにはメリットはない、手をかける事すら馬鹿げている存在であることもわかっているが本当に消えて欲しい。

そんな事を思っている私と、そんな事いいから前向いて進みなよと思っている私がいる。そして2人の私は向かい合い日々対話している。

私は仕事が好きだ。働いていたい、そう思う。なぜ働きたいのか考えてみた。それは自分の居場所を持ちたいのだ。
人を殺したらその場所は刑務所になるだろう。それでいいのか?と問うと、それでもいいと時折私がいう。それじゃだめだよと時折私が言う。

私は現実人を殺さないだろう。そもそも私にはそんな体力は普段の調子から考えるとない。

だから実際は出来ない。でも殺したいほどいやだと思う気持ちが自分の中にある事は認めたい。相手か死ぬか、私が死ぬか。そんな事を日々感じてはいる。

韓国ドラマをみていた。その中で誘拐された妻が性産業に売られていき、夫に発見されたものの、自分に起こった現実を夫に知られたくないと自ら車に飛び込み夫の前で自殺するシーンがあった。

その人は生きてられないくらい、人には知られたくなかったんだろう。(という想定のドラマ)

別に処女でもないし、どーでもいいじゃんと私は何人かに言われた。そして親にも言われた。
そう言う問題じゃないんだと改めて思い自分をなだめた。

私の行動で今後の仕事があるかないか大きく変わると思う。仕事するには真っ当な生活をする必要があるだろう。そして世の中真っ当な生活している人ではなく悪が蔓延っている。悪いことしていても平気な人がいるし、悪いとも思っていない。そんな人たちは多分自分中心に世の中を見ているんだと思う。

多くの人にとって、自分は正義であり、自分と同じ意見でない人、つまり意見が違う人は悪なのだ。

そう考えると私は誰かにとって悪だと思う。もしかすると超絶悪者だ。いや絶対誰かにとっては私はすごーく悪者なのだ。正義は角度によって大きくかわる。

自分こそは正しいと思った時こそ、それは本当か?とクリティカルに自分を見ていきたい。

そして私は悪でもなんでもいい。悪なら悪でそれを貫くこともいいと思う。

正義とは何かなんてどうでもいい。

私は私に正直になりたい。でも現実はなれない。そんな正直になるバーチャルな空間。それがこのnoteなんだと思う。





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