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子どもは大人が思う以上に自立している

次男は毎日のように世界のニュースについて話をしてくれる。大きなニュースはもちろん小さなニュース、面白ネタも含めて色々な事を話してくれる。

そんな世界のニュース、特に政治ネタについて話を聴かせてくれる時間は私にとってよいインプットの時間である。

彼がどこからネタを仕入れているのかというとYouTubeだ。よくYouTubeの見過ぎが気になっているという話を聴く。私もその一人であった。

はじめはYouTubeについて懐疑的な私であったが、あの情報量をすすんで取り入れている次男の姿には関心を覚える。おかげで高校入学にあたっての面談の際にはすらすらと時事問題について答える事ができただけではなく、よくそのような情報を知っているねと面接官の先生に感心されたようだ。

私達の周りには色々な情報発信源がある。テレビはもちろん、新聞、ラジオ、本、漫画、そしてYouTube。なんだか新聞からインプットしているとなると高尚なように感じるし漫画やYouTubeが情報源となると軽いように感じていた私だ。

しかしそれぞれの子ども達の話を聴いていると情報源は色々だがそこから深い学びを得ている。私は情報源について勝手にこれはいい、これはよくないと決めつけていたように思う。

もちろん何事もやりすぎはよくないと思う。同時にやりすぎの線があり、それはうちの子たちに限っては自分たちでセーブしているように思う。

長女は自分で携帯の見過ぎを自覚している。だから携帯は自分の近くにはおかない。時間を決めてだれから連絡あろうとも見ないというようにしている。(だから私や家族からの連絡もみてない時がある)

逆に私の方が携帯に依存している状態であり、よく長女から「携帯はおいて」「今はみない」「人の話はちゃんと聞く」と注意されるくらいだ。もうどっちが親かわからないなと今は思っている。放っておいたら自分で自分の行動を振り返り自分からセーブをかけていた。

次男についてはほぼYouTube依存になっていると本人も自覚している。本人曰くラジオ代わりらしい。音を聞いているのが心地いいようだ。テレビだとどこでも聞けないのが、YouTubeなら好きな人の声を選択して垂れ流す事ができ心地いいらしい。そして、ネットサーフィンし世界の情報を幅広くインプットしている。その情報量はすさまじしい。今や彼は私の百科事典化している。

長男は今は自宅にいないのでわからないが、漫画を読みすぎているのでほとほとあきれていた。どうやら千冊近い漫画をもっており、読んでいた。長男も歩く百科事典。1聞くと10答えてくれる。そして話はたいてい哲学的であり面白い。出てくる言葉の返しは素早く、鋭く、シュールである。

よくそんな切り返しができるな、その言葉が出てくるなと思った。言葉の選び方も秀逸だと私は感じている。長男曰く、出どころは漫画。

「母さんは漫画を悪いものと決めつけていませんか?漫画は深く、学びがある。悪いものと決めつけるとそこから何も見る、得ることは出来ない。でもそこからどのような学びがあるかという視点に立てばすべてが学びになるんです。漫画は素晴らしいです」

いつものように標準語敬語で話をされ、そこから長男の漫画を少しずつ読んでみた。私にはストーリー展開が難しくてよくわからないものも多かったが長男が言うように漫画は奥深く学びがあると感じた。それと同時に私はよくもわからず、しらず、勝手にこれはいい悪いと決めつけから物事をみていたように感じた。

子ども達は私に新しい視点を与えてくれる。そしてうちの子たちを見てて思うのは大人が心配するほどではないのではないか。子ども達は失敗しながらもちゃんと自分を俯瞰しており、失敗から学んでいる。

言えることはYouTubeも漫画もしばらく放置し、様子を見てみるのも一つの方法だと私は思っている。子どもは大人が思う以上に普段の生活から色々学んでいる。大人はそれを見守るだけでいいように私は思う。

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