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Go to Travel 対象外でも旅行に行きたくなる「シグナル効果」 〜 政策にかけたコストは消費者にどのように解釈されるのか 〜

一橋大学と帝国データバンクが設立した、 一橋大学経済学研究科 帝国データバンク企業・経済高度実証研究センター(TDB-CAREE)の研究成果と、所属する研究者をご紹介するシリーズ第5弾です。
ジャーナル「Marketing Letters」に掲載された「Signal effect of a targeted travel subsidy on consumer behavior during the coronavirus disease 2019 pandemic」の概要を、研究者へのインタビューにてご紹介します。

論文著者 田頭 拓己先生(一橋大学大学院 経営管理研究科経営管理専攻 准教授)

同じ情報でも「何をしようとしていたか」によって受け取り方が変わることへの興味

ーーご専門のマーケティングでは、どんな研究をされているんですか?

主に小売企業のマーケティングとか、ソーシャルメディアにおける消費者行動を扱っています。

ーーSNSでの消費者行動って、口コミとかですか…?

そうですね。
広く言うと口コミになるんですけれども、特にソーシャルメディアにおける炎上について研究するプロジェクトを、何人かの先生方と昨年度まで一緒にやってました。
他にも色々なトピックについて研究していますが、共通しているのはオンラインとオフラインが融合するような状況に興味があるという感じです。

ーー消費者のSNSへの反応の分析って、すごくおもしろそうです。

このプロジェクトにおいてメインでやっていたのは二つあって…
 
一つは、個人が想定している行動の文脈によって、同じ情報を見ても重要視する情報が変わってくることをとらえようとしていました。たとえば、SNSでの炎上に関する同じ情報に触れるとしても、買い物をしようと思っていてその情報を目にしたのか、ただネットサーフィンで情報収集しようと思っているときにその情報を目にしたのかで違った反応をするというようなことを調べたりしていました。
 
もう一つは、SNS上では炎上している企業を批判してるのに、実際にはその商品を買っているような人をとらえたものです。
「文句を言うくせに買う」というと、一貫性がないとか、倫理観がないとか思うかもしれませんが、こうした行動について、消費者のモラル心理学における個人的な倫理特性をもとに議論すると、理論的に整合的な行動として説明できるんです。そのような理論的仮説を実証するというようなことをアンケートをベースにした消費者実験を使って調査しました。

ーー小売に関する研究トピックを選ばれたきっかけは、どのようなものだったんですか?

大学生の時にイギリスに留学していたんですけど、当時、僕が日本で見ていた小売環境と比べて大きく違うのでびっくりしたのがきっかけです。特に、イギリスではスーパーマーケット間の差別化とポジショニングみたいなものがすごくはっきりしていました。おしゃれな高級路線のスーパーマーケットもあれば、非常に低価格なお店もあって、すごく分かりやすくポジショニングがされていて…。
しかもそこにプライベートブランド(スーパー独自の商品)がくっついてる構造が面白いなと思ってました。

そういった関心が頭の中にある状態で、神戸大学の経営学研究科へ進学して、ここでマーケティングの研究してる時に自然と小売に関するトピックに流れていったというような感じですね。

ーー博士論文も小売業のポジショニングをテーマにされたんですか?

いいえ。その時はオムニチャネル小売(*)をテーマにしました。

* 「オムニチャネル小売」
オンライン、オフライン、モバイルチャネルを顧客が自由に行き来できるような小売環境のこと

博士論文のためのデータを集め始めたのが2015年あたりで、ちょうど小売企業によるスマホアプリが出始めてオムニチャネルが各所で話題になってきたころでした。マーケティング分野だと、その経営学的な意味というか、実務的な意義も大事になってくるのですが、ただ新しいトピックについてデータを集めて分析するだけでは不十分で、学術的な論文になりません…。
なので、あくまで学んだ理論や手法を応用する先として、その当時、新しかったオムニチャネルをとらえたという形でしたね。

コロナ禍において研究者としてできることを

ーー今回の研究テーマはCOVID-19流行下で行われたものでしたね

そうですね。2020年の5月ぐらいから、消費者の消費行動の変化をとらえるために、アンケートをこのTDB-CAREEで行っていました。そのアンケートプロジェクトにおいて、私はマーケティング専門ということで、アンケートの設計を手伝うことになりました。

このアンケートの開始当初は、本論文のような研究を想定していたわけではなく、月次で様々な消費者の行動記録を取っていくことで、コロナ禍での消費の変化を記述していくという意図で進んでいました。
なので、旅行行動だけでなく色々な消費行動を網羅的に聞いていくようなアンケートになっています。

ーーアンケートの方が先だったんですね

そうなんです。
この調査をし始めた後にGo to Travelが実施されました。しかも東京の人は割引の対象外だという制限が入ったので、研究者としては「お!これは使えるんじゃないか?」という気持ちになったんですね。

実証研究をしている経済学者の方も同じことを考えるので、実は結構早い段階にGo to Travelに関して何本かワーキングペーパーが出たんです。
僕も引用していますが、主に宿泊データを使った、松浦先生と斎藤先生の論文や、舟島先生と平賀先生のワーキングペーパーが早い段階で出ました。
こういった経済学分野からの知見はすでに出ていたんですが、自分はマーケティングの人間として、もうちょっとできることがないかなという風に考えていました。その時に、自分の周りを見ると「割引はないけど旅行に行っちゃおう」という東京の人が結構いたんで、これは何かあるんじゃないかなと考えた次第です。

Go to Travel 対象外でも旅行に行きたくなる?

ーー分析した結果、補助金をもらった人はもちろん、Go to Travel 対象外だったはずの都民も、旅行に出かけるようになっていたんですね。

そうです。
Go to Travelによる割引によって旅行をうながされただろうというのは、この研究でも確認できました。
この研究では、マーケティングでもよく使われる分析方法(DID; 差の差分析)を用いてGo to Travel の効果をとらえようとしているのですが、先程言ったような「割引の対象ではないけど旅行に行く人」について考えると、DIDをうまく適用できない可能性があります。

Go to Travelの割引をもらっている人の旅行頻度は上がっていても、割引をもらっていないはずの都民も旅行頻度が上がっている場合、政策の処置群(割引あり)と対照群(割引なし)との比較が難しくなります。
割引なしの人たちについて個人的要因を統計的に処理してあげれば、きちんと割引の効果が見えてくるのですが、そうでないと補助金の効果が一見無いように見えてしまうという点も、この論文の大事な指摘のひとつです。

ーーお得になるわけでもないのに、どうして都民まで旅行に行く回数が増えてしまったんでしょう?

そのような影響をスピルオーバー(波及効果)としてとらえて、政策による消費者へのスピルオーバーがあるのか?を問うのが今回のリサーチクエスチョンなんです。
政策対象外になっているはずの人たちにも、政策が影響を与えてしまうことを「消費者にとってのシグナル効果」というフレームワークでとらえようとしています。

コスト=コミットメント? 消費者の判断と行動に影響を与える「シグナル効果」

ーー論文のタイトルにもある「シグナル効果」ってなんですか?

もともとは、経済学におけるシグナリング理論というものがありまして、それは「情報の非対称性」(*)をとらえた、情報の送り手と受け手が存在する市場の理論なんです。

僕はそこから派生して消費者行動分野でよく使われている、「情報の受け手側」の心理的な変化というのかな…
シグナルの受け手が受け取った情報に基づいて、自身の信念を形成、変化させてしまう現象をとらえた理論枠組みを使っています。

* 「情報の非対称性」
企業と消費者が自分にしかわからない私的情報をもっているような取引状況を「情報の非対称性」があると考える

今回の論文で取り上げたシグナル理論では、情報の受け手が考え方や信念を変えるうえで、情報の送り手側が被ったコストが観察可能であることが重要だと考えます。
Go to Travel では、旅行を支援するための補助金という形で、政府がまさにコストを伴った情報を発信してます。

ーー単にお得になる金額が大きいってメリットとは違うんです?

お得になる金額が大きいというのは、割引による効果です。このような金銭的なインセンティブによる効果は、すごく強力です。この論文でも、この金銭的なインセンティブの効果も確認しています。

ただ、Go to Travel の施行後に割引を享受できない人が旅行に行く理由は、お得ということでは説明できないですよね。
そこで、政策を評価する時に「シグナル効果」があることを想定して分析するのが大事ということが、この論文で提案していることです。

ーー政府のお墨付きというか、公的な立場からOKが出てるから安心と思っちゃうのかな、と思ってました。

単にお墨付きということで考えると、政府の対応としては例えば、ただ「旅行に行ってください」って言うだけでもよかったわけなんですけれども、コストを割いて消費者の旅行を促進しようとしたわけです。

シグナル効果のフレームワークでとらえると、コストがコミットメントとして観察できるので、消費者の「旅行に行っても安全で問題ないに違いない」とか「今は旅行に行くことの方が大事なんだ」という推測を誘発した、という見方になります。

人々の心理と、政策の効果コントロールの難しさ

ーーこの論文から示唆をあげるとしたら、どんなところでしょう?

政策に関して言うと、やっぱりそのコミュニケーション的、シグナル的な効果が重要になるのかなと思います。

これは二つの側面での重要性があって、一つは、金銭的な補助を行うことによって、政府が思ってる以上に産業の回復を図れる可能性があるっていうポジティブな面です。

一方で、ネガティブな面としては、効果範囲の大きさ、コントロールの難しさです。
Go to Travelは東京だけを除外することで、感染状況をコントロールしながら旅行は促進するという、両方のバランスを取ろうとしたわけですよね。
それで都民に対してはキャンセル料の補償とか、旅行に行かないことによって生じる損失を全部補填しようとしたはずなのに、結局、つられて旅行の頻度は上がってしまった可能性が示されました。

特定の層の需要だけ喚起するのが、パブリックポリシーではいかに難しいかっていうことが言えるかなと思いますね。

ただ、本研究にも当然限界はあって、注意が必要です。
そもそもアンケートデータを使っていて、実行動データではないという部分もあります。
また、使っている変数に関する問題にも注意が必要です。先程も言った通り、この論文のデータは Go to Travel の効果検証用に収集されたものではないので、アンケートで使用した尺度が本論文の議論に対して本当に適切なものなのか、なかなかドンピシャなものになっていないのではないかという点は私自身とても悩んだ難しい部分でした。
なので、この論文に関してはこのような限界を理解した上で、評価することが重要かなと思います。
そのうえで今回論じたことが今後の研究につながって色々と検証されていくと嬉しいです。

「見える」企業努力は報われる?

ーーシグナル効果って、企業でも生かせるんですか?

2020年の論文で、このシグナル理論をコロナ禍での消費者行動に応用する発想は提示されています。私の論文はこの発想を政策に応用して実証したといえます。
この2020年の論文では、企業が講じている感染対策やコストによって、消費者が安全性を知覚して、店舗に来てくれるようになるというシグナル効果をとらえています。
この著者たちもやっぱりコストが分かる形で安全性のメッセージを出すことが重要だろうと考えています。

ただ、コストを伴わない情報なら違った効果があったのか、という議論もあると思うんですね。
でも、今回はそれを議論、分析できていないので、次の研究につなげるとしたら、同様のことがコストなしの情報でも成り立つのかっていう比較はありうるかなと思います。

ーーコロナ禍が落ち着いてきてからのビジネスだとどうでしょう?

シグナル効果って、元々はその製品とかサービスの品質が、消費者にとって観察できない状況を想定したフレームワークなんです。

例えば、ネット通販で買い物をしたときに、買った商品の配送がどれだけ早いかって、実際には届いてみるまで分かんないじゃないですか。
でも、「なんとなくこの企業なら大丈夫そうだな」とか、「この企業はちょっとやばいんじゃないかな」っていうのを、我々はいろんな情報から予測するわけです。
その時に、例えば、その企業がものすごいコストを割いて、大きな物流センターを作っているっていう情報があったら、ここは大丈夫かなと思うかもしれませんよね。

企業が「うちは品質が高いです」ってただ言うだけじゃなくて、そのコストを伴った情報を消費者が観察することで「この企業の品質は高いに違いない」と類推するような効果が想定されます。

ーー今回の研究とは別に、これから研究したいテーマはありますか?

今、個人的に関心があるのは、小売企業の技術投資が消費者にどう影響を与えるかということです。
フレームワーク自体は似たような話なんですけど、たとえば小売企業が物流センターに自動化技術を導入した時に、短時間で物を届けてもらえるようになるっていう顧客への直接的な便益があると思います。それとは別に、物流自動化をしているという情報を観察した消費者がどう反応するかっていう話は、興味があって分析していこうかなと思っています。

というのも、企業の技術投資や設備導入って、日経新聞などではニュースになるんですが、企業の通販サイト上には情報がなかったりするんですね。

こうした情報があった方がいいのか、ない方がいいのかっていうのは調べてみると何かあるのではないかなと思います。僕のように小売のことを研究している人間からするとあった方がいいんですけど(笑)、そうでない人たちだってあると便利な情報なんじゃないのかなと思ってます。

これについては探索的な段階から研究をはじめていて、今回のようなシグナリングによるものなのか、別のフレームワークになるのか、まだわからないですけど、今後も見ていきたいと思ってますね。

論文リンク: https://doi.org/10.1007/s11002-022-09663-2

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