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音楽は希望だ

noteのトップページを見ていたら、普段から愛用しているサブスク、Spotifyとの企画「#スキな3曲を熱く語る」というお題が目に入った。

30年ちょっとの人生を振り返ってみたとき、いくつもの思い出に音楽が結びついていることに気づく。
中でも、大きな転換期につながった3曲について書いてみようと思う。


〈その1〉
君という花 / ASIAN KUNG-FU GENERATION

中学生、思春期真っ只中の頃。

正しいか、正しくないか。
白か、黒か。
みんなと同じか、それ以外として弾かれるか。
他人が決めた「こうあるべき」や、自分が思い込んだ「こうあるべき」に苦しみもがくうちに、「自分はどうありたいのか」すら考えることを放棄していた、その頃。

クラブミュージックのような裏打ちのドラムに、気だるいような、でも心の内を叫ぶようなボーカルの歌声。ラジオから流れてきたこの曲は、ガサガサに渇いた心を久しぶりにゆさぶった。

「どんな形でもいい。やりたいようにやればいい。灰色に濁っていてもそれでいい。うまく言葉にできないならそのまま叫べばいい。」

そんな風に言われた気がして。



〈その2〉
Little Girl Blue / Nina Simone

大学生の途中から、歌を習い始めた。
この人に習いたい!と思った先生は、あちこちのライブハウスでライブを行い、ジャズやインプロやオリジナルや…ジャンルには全くおさまらない「声の人」だった。

そもそも、歌をこの方に習いたい!と思ったきっかけは、音楽療法の実習の中で障害のある子どもたちと接するときに「楽器を介していては、今の私では到底やりきれない。もっと声を自在に操れるようになりたい!」と思ったこと。

レッスンでは発声の基本と感性を鍛えてもらった。すべての感性をかっぴらいて、相手から感じとるものを音にしていく訓練。
そして、自分の内側から声に乗せて歌うこと。

ジャズのスタンダードを用いながら、レッスンはさながらライブ、真剣そのもの。どこかで音楽を舐めている自分に気づき、悔しくて恥ずかしくて泣いたこともあった。

そんな日々を重ねたある日。
「この歌こそ、今、自分のために歌いたい」と初めて思えたのがこの曲。
指折り数え、雨粒を数え、なんとも寂しさがただよう歌詞だけれども、「大丈夫、いつかその雨は止むから」と言ってあげたくなるような気持ちにも駆られる。

たくさんの歌手がカバーしているけれど、ニーナシモンのこのアレンジが1番好き。おもちゃのオルゴールのような素朴なイントロも美しい。


〈その3〉
La Nuit / Les Choristes

2004年、フランスで大ヒットした映画『コーラス』。この映画に出会ったのは、それから何年も後の、しんどかった時期。

大好きな音楽が「仕事道具」になってしまっているのかもしれない。
そんな危機感から、まずは自分の美的感覚がよろこぶものが見たいなぁ、映画がいいかもなぁ、とネットでいろいろ検索。「少年たちが歌をきっかけに変わっていく…」というようなあらすじを見てレンタルへGO。

クラシックの作曲家ジャン・フィリップ・ラモーが作曲した、劇中で歌われる「La nuit / 夜」という曲。

映画の中では、問題児の少年が素晴らしいボーイソプラノの持ち主で、この曲のソロパートを見事に歌い上げる。自分の存在を許し、認め、受け入れられた歓喜とともに。

サウンドトラックCDのブックレットには、このように詩が訳されていた。

〜夜よ この地上にまだ残しておいておくれ
おまえの神秘の力によってかけられた 
静かな魔法を
お前に連れ添う陰はこんなにも甘い
夢ほど美しいものが この世にあるだろうか
希望ほど甘美な真実があるだろうか〜

映画を見た身としては、どうしてもシーン込みでこの曲を聴いてしまうけれど、それを差し引いたとしても、ありありと感じられるのは、希望。
ふと、無性に聴き入りたくなるときがある。自分の中の「うつくしさ」と共鳴するような気がして。



3曲、と考えて思い浮かんだところにいろいろ書いてみたら、過去最大の文章量になってしまった。
もはや未来の自分のためのメモでしかないけれど、「しんどいときに、音楽から希望を見出した」という共通点があって驚く。
改めて自分と音楽を振り返る素敵な機会をいただきました。