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「菜の花の沖」第二巻の巻

高田嘉兵衛に関わる資料をAIにすべて読み込ませて、司馬遼󠄁太郎風に書け、と命令したらどんな小説になるだろう。

第二巻を読みながら、そんなことを考えていた。

司馬遼󠄁太郎は、江戸時代の商業、船舶の構造、藩の経済状況、当時の各地の民俗等の資料をこれでもか、というくらいに調べて書いたのだろう。

そんな資料を私が見ても、事実の羅列だけで、そこに活き活きとした当時の人々の息づかいまでは感じられない。

資料館になれば、少しは馴染やすいが、それでもだ。

しかし、司馬遼󠄁太郎は、資料だけでなく、登場する場所に住む長老たちのインタビュー等から更に想像を膨らませ、海を見て、風を感じて、言葉を練り、私達に小説という形で、イマジネーションの中で動く歴史絵巻を作って、魅せてくれる。

いま私の頭の中は、江戸時代でどんどん商業が発展していき、船への需要や経済社会が沸騰していく時代と、今の生活を行ったり来たりしている。

それにしても、この第二巻は、勉強になった。

日本は江戸時代以前には南蛮貿易等をしていて、外洋に船を出していた。

それが江戸時代になると、大きな船の建造や所持を禁止した。

国内の大名から幕府が攻め入れられないように。

帆も一つと決められていた。

船は、陸地を見ながら運行するようなものばかりになった。船の技術は消えかけた。

江戸は大消費地であり、どんどん人口が増えていく。日本中から物資を仕入れないと成り立たなくなり、そのために、大きな船で米や生活品を大量に運ぶことが求められた。例えば山形県酒田の米を江戸に運ぶのは困難だった。

それを可能にしたのが北前船だ。

酒田から佐渡、能登、出雲と越えて、壇ノ浦から瀬戸内海を大阪へ。

大阪が米の集積地だったそうだ。

これを西廻り航路という。

大阪から江戸に、更に運ぶ必要がある。これを東廻り航路という。

東廻り航路は、黒潮があり、これにまともに乗ってしまうと、日本には戻れないくらい流されてしまうそうで、安全な航路を見つけることは大変だった。また大阪に行くには黒潮の逆の影響を受ける。

その後、東廻り航路はどんどん開かれていき、銚子、那珂湊、石巻と伸びていく。

そして、その後、八戸、青森と、津軽海峡を越え、ついに、能代、土崎(秋田)、そして酒田までつながった。

本州が航路で繋がった。

読んでいると、頭の中で本州の形と各港の位置などが、クッキリと立ち上がっている。

主人公は、淡路島の貧しい家の出身で、村を逃げて神戸へ。海運で一旗揚げたいが、大阪等の商売地では、ほぼ全ての商品は組合のようなものが仕切り新参者は入れない。

主人公は、まだそのような組織のない蝦夷へ買い付けに行くことを思いつき、巨大な船を建設中で、そのための資金を稼ぐために古い2船で、危険と隣り合わせの輸送を行って、金を稼いでいる所で第2巻は終わる。

この巻を読んでいて、一つ私の長い間の謎が解けた。

私には、私なりのパワースポットがある。どちらも港町で、街の雰囲気は男臭く、店で出てくる刺し身は豪快で、元気が出てくる。酒の好きな土地のイメージもある。時々無性に行きたくなる。

いつ行っても、来てよかったと思う。

それは何故だろうと、何故ここなんだろう、というのがあった。

その場所は石巻であり、銚子だ。

菜の花の沖を読むと、どちらも、東廻り航路の中でも重要な港だったことが分かった。

そうか、大きな港町の文化、そして海だけでなく、大きな川も流れ込んできて、人間社会だけでなく、様々な自然、川、海、風、それらが豊かに交わり合う場所から、何か大きな力をもらえるから、パワースポットになるのか、と謎が溶けて嬉しくなった。

ついに第3巻へ突入。

ブック・オフで、3巻と4巻を、買った。

店舗によって値段が様々で、3軒も回ってしまった。あそこまで行けば110円で買えるからと…

東廻り自転車航路。

それではまた。

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