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人生の「余白」について

PERFECT DAYSを見終わって、時間が経ってからジワジワ余韻が来ている。

noteで、いろんな人の感想を読んだ。

「余白」という言葉が時々出てくる。

多くを説明しない、淡々としたストーリーだから、そこに余白を感じる。

薄味だけど滋味深い料理みたいだ。
口の中でゆっくり、食材の命や歴史が広がっていくかのように。

余白があるということは、観ている人がそれを、自分なりに埋めていく、ということかも知れない。

人それぞれ、いろんな余白の埋め方がある。
ぬり絵のようだ。

正解も間違いもない。

心の底から浮かび上がってくるものを感じればいい。

気の合った人と、お互いにそれを語り合う喜びもあるだろう。

主人公の毎日は、余白にあふれている。

トイレ掃除という仕事はあるが、労働とプライベートとに完全に分けているわけではない。

全部含めて、「生活」を生きている。

呼吸をするように、波のように毎日があり、思い思いのささやかで満たされた時間を過ごす。

その余白を彼は楽しみ、ぬり絵を描いている子どものように、きらきらと生きている。もちろん心にさざ波が立ち、真っ黒で荒波のような絵になる時もあるだろうけど、1日というぬり絵を描き終えたらそれはめくって、まっさらな朝を迎え、また余白に新しい色を塗っていく。

考えてみると、この世に生まれてくるということは、無限の余白の中に飛び出すことではないだろうか。

そこから、育ててくれた人、生まれ育つ環境など、ぬり絵で言えば絵の線に相当するものが少しずつ現れてくる。

そこに、自分なりの色をつけていく。

自分自身も、果てしなく大きな余白を54年かけて色をつけてきた、と言えなくもない。

そして、今も毎日、塗り続けている。暗い色もあれば、淡い時もある。

映画、演劇、音楽、絵画、その他様々な芸術やエンターテインメントは、その余白を彩るのを助けてくれる。

人生は長くて何が正しいか分からない。自分で余白を埋めるのも疲れたり、どうしていいか分からない時もある。そんな時に、それらは寄り添って助けてくれる。私にとっては、生きる上で必要なものだ。

映画の中で出てくる木もれ日。

重なり合う葉の影と、隙間からの空の光が揺れている。

一つ一つの葉は、一人ひとりの人間だ。それが重なり合ったり、すき間ができて、無限の光と影のグラデーションを作る。葉と葉の間からこぼれる光は余白だ。

人と人との間の余白に、喜びやきらめきを感じられたら、そして彩っていけたら幸せだ。

そんな日々の生き方にこそ、この世の希望があるのではないか、監督はそう教えてくれたのではないか、と、ふと天ぷらを揚げながら思った。

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