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人間は群れることでしか生きられないので

だいたい一週間に一回は、自転車で5分程にあるサイゼリヤに行く。

ここは、時にカオスだ。

子供たちが走り回ったり、ママ友たちが旦那の悪口を言ったり、職場の憂さを晴らしたり。大声で。

私は昭和の人間で、場末の下町育ち。

子供の頃は、まわりの家と同じように風呂がなかった。父の仕事が終わると銭湯に連れられて、その後に夕飯として飲み屋に連れて行かれていたような子供時代を過ごしていた。 

そんな理由から酒は中2から飲んでいる。アルコール添加の中2病だ。

そんな自分にとって、わが町のサイゼリアは、どこか昔ながらの大衆酒場の風情を感じる。

今日、通された席は、斜め前がママ友たちで盛り上がっていた。

途中から喧嘩をしだした。

サイゼリヤで読もうと思っていたネット記事を読むにはうるさかったが、これでこそ大衆酒場。

喧嘩をしだした人たちが外に出て、頭を冷やし、仲直りしたのを見て、サイゼリヤは、庶民風情的に最高だ、と思った。

目の前でママ友たちが喧嘩している時、この記事を読んでいた。 

私は選挙前に毎回憂鬱になる。

それは、公明党支持者、創価学会の人が、複数人で何気なく天ぷらに買いに来て、最後に公明党立候補者への投票を勧誘するから。
 
半端ない波状攻撃は、経験のない人には想像できないだろう。

私達のような自営業者や、公明党支持者でない人からは、毎回本心の怒りを、他にお客さんがいない時に言い合う。

二十年近く会っていない人が選挙直前に突然来て天ぷらを買いに来て、公明党に投票をするように言われると、ある時から怒鳴ってしまうようになった。

それはよくないと思い、この近年は、議員に直接、迷惑だ、と言うようになって、多少の配慮があるようで、そういう勧誘は減った。今度の衆議院選挙は、私の選挙区が変わって、公明党の牙城になってしまった。

サイゼリヤで読んでいた上記の記事は公明党が、日本の必要な政策の激しい変化を、平和的に抑えてきた歴史があることを書いていた。

そうなんだ。

公明党に怒りを覚えるのはその選挙活動の方法であって、創価学会に所属されていても、公明党を支持されていても、自分の公私に明らかな形で関わらないでくれるのであれば、いい。

であるからこそ、創価学会以外に、ちゃんとブレーキ機能を果たせたり、宗教や哲学的な大きく遠大な問題を考えつつ今の生活にもつながることを排他的でなく、若い人たちに伝わる言葉で語れる組織が求められるのかなと、サイゼリアンワインを飲みながら思った。

人間は、弱い個体が群れることで、生きてきたわけだから、いい群れを作る民主主義を。

おやすみなさい。