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【手紙】教師を辞めた僕が、いま保護者に伝えたい感謝のこと。

心に火が灯る。

6月6日(火)、3日から延期になった前勤務校の運動会を参観させていただいた。滞在時間は1時間に満たなかったが、多くの保護者の方々に話しかけていただいた。こんなにありがたいことって、生きていて、なかなかない。

振り返れば、親御さんには本当にたくさん支えられた5年間だった。

僕の拙い指導にも関わらず、いつも会うたびに温かい感謝の言葉をかけてくださった方、授業公開の時にいつも必ず挨拶にきてくださった方、行事や様々な活動を支えてくださった方、いつも気さくに話しかけてくれた方、ご家庭でのたっっっぷりの愛情(子どもの生活ノートから感じるご家庭の愛情にいつも私が励まされていました)、毎朝走っていると「うっす」とか「おはようございます」とか言って気軽に話しかけてくださった方、帰り道に駅前でお会いして「あ、先生!」と話しかけてくださった方、「この間の授業すごく良かったですよ!」と言ってくださった方、「また来年も先生が担任やってください」と言ってくださった方、「先生寝てます?」と心配してくださった方、指導方法に悩み「どうすりゃいいですかね」と逆に相談した時に「こんな時、うちではこうしてますよ」と一緒に指導方法を考えてくださった方、「これ授業で使ってください」と教材を提供してくださった方、授業づくりのために何時間ものインタビューに答えてくださった方、放課後(あれは夜ですね)に一人で授業準備を体育館でしている時に親子で手伝いに来てくださった方、自家製の超絶品あんこを食べさせてくださったた方(また買いに行きます)、退職直前に僕の髪を切ってくださった方(またいつか切ってください)、最後の保護者会で「先生の夢、応援してますね。」と涙を流して応援してくださった方。

記憶を辿れば辿るほど、本当に感謝があふれてくる。僕が多くの親御さんに支えられて最後までやってこれていたことを痛感する。思い出すだけで、心に火が灯る。
本当は皆さんに直接お伝えしたいところですが、この場をお借りして改めてお伝えさせてもらいます。

心から、ありがとうございました。


ふるさと新小岩、ありがとう。

少しばかり、最近思うことをふんわりと語らせていただきますね。
学校って、本当にすごく不思議な空間なんだなってすごく思う。子どもが伸び伸びと成長する場を、子ども自身と親と先生と地域と教育委員会と…様々な方が必死でつくりあげているところ、それが「学校」という場所だと思う。

社会の中に他にこんな素敵な場所があるかな ———。

人間が人間を育てるって、絶対に一人ではできないし、決して生半可な事ではない。でも、それぞれの立場の大人が本気を出すことで、それを体現してしまっている場所がある。それが「学校」。教師を辞めて、学校を外側から眺めてみて、あらためてそう思う。

とりわけ「新小岩」という場所は(いや新小岩に限ったことではないかもしれないけど)、多様なバックグラウンドをもったご家庭が多いかもしれない。でも、だからこそ地域基盤が強い。「うちらは地域で子どもを育てていくんだ」という、横の繋がりが他の地域よりも盤石な気がする。だから、いつ訪れても温かみにあふれている。

でもそれって、すごく大切なことなんじゃないかって思う。
卒業して大海原に出た子どもたちが、時々荒波にのまれてしまうことがある。ボロボロに傷付くこともある。そんな時、一時帰港できる場所がここだと思う。穏やかで、無条件に安心できる場所。温かみが集う場所。「どうしたの?」「何があったの?」とか、余計なことは尋ねずに、ただ「おかえり」と言って、温かく包み込む実家みたいな場所。そんな「ふるさと」のような場所が「新小岩」だと思う。
6月6日、わずか1時間足らずの束の間の新小岩だったけど、少なくとも、僕は無条件に心が安らいだ。

ふるさと新小岩、ありがとう。


きっと、ベストセラー作家になっている。

少し、自分自身を振り返る。
大学では政治学、比較憲法学、ドイツ現代史を専門に学び、大学院では教育学、とりわけキャリア教育、米国キャリア教育(加州)を専門に研究してきた。そして、6年間で培った理論を携え、新小岩で様々な実践を重ねてきた。教職に就いて5年間、様々なことを考え、実践し、そして子どもたちから多くのことを学んだ。
教職を退き冷静に自己省察できる今、こんな問いを自分に投げかけてみた。

「教師にとって最も大切なことは何ですか ———。」

しばらく考えた。でも結局、いつもたどり着く答えは同じだ。

「愛情」

これに尽きるんじゃないかって思う。
たしかに、教師という職業は高度専門職業人だからこそ、授業スキルや指導アプローチ、分掌業務進行力、地域連携力、あるいは外部折衝力など、その力が測られる指標は様々にある。しかし、5年間やってみて(5年間しかやっていないという揶揄は承知の上で)、見えた自分なりの「教師にとって最も大切なこと」は、子どもたちのことをとびきり愛すること。これに尽きるんじゃないかと思っている。

子どもたちは、毎日いろいろな表情を見せる。
何かが上手くいって喜んでいる時もあれば、何かに躓いて悔しがる時もある。何かに悩みテンションガク下がりの時もあれば、どうしても気持ちが付いていかずサボってしまう時もある。あるいは、互いに我慢しきれず喧嘩になる時もあれば、後先考えきれず悪さをしてしまう時もある。でも、どんな時でも、全て受け止めて、全て抱きしめてあげること、これに尽きるんじゃないかって思う。
子どもが喜んでいる時は一緒に喜んで、楽しむ時は全力で楽しむ(楽しみすぎると僕みたいに骨折することもあるので要注意だ。笑)。そして、子どもが悔しがっている時は、一緒に一番悔やしがる。子どもがイライラしている時や怒っている時、物や友だちに当たってしまった時は、単にその行為を叱るんじゃなくて、その行為の「意味」を懸命に理解する姿勢をもって、全て受け止める(その子にとっての一つの表現方法になっている場合があるから)。
時には、カッとなって、子どもが先生に手をあげてしまうこともあるかもしれない。そんな時は、その行為がだめな理由をちゃんと説明してから「手加減したお前は優しいな」って、その子の優しさの片鱗を抱きしめてあげる。「そんなことしたら子どもが反省じゃないか」って批判されるかもしれないけど、本当の「信じる心」を味わった子どもは、自分の行いを省みて、その人のを二度と裏切らないように努力し始める。心は、自然に改まる。

「生半可な事ではない」と最初に言ったのは、日々こんな感じだから。人間が人間を育てるって、簡単なことではないんだけど、簡単じゃないことは、たいてい、おもしろい。今ももちろん、そう思っている。
そうやって、できるだけ子どもと同じ文脈の中で、同じ物語を書き綴り続けること、それが教師の役割であって、それがいわゆる「教育的愛情」なんじゃないかなって、最近思う。そして、その積み重ねが、その子の物語の記念すべき1ページ目をつくり上げる。3年も経てば、何度も消しては書きの繰り返しで、紙はぼろぼろになる。でも、だからこそ、味わい深い。だからこそ、卒業した後にもっともっと自由に筆が走る。
今から、この子たちが大人になった姿が楽しみでしかたがない。きっと、ベストセラー作家になっているはずだ。そうやって、子どもたちのことを愛せば愛しただけ、子どもたちはまっすぐに育つ。この子たちがそれを裏付けているから、これって、あながち間違っていないんじゃないかなと思う。


僕が先生方に向けて語れる、少しのこと。

教職を退き、まもなく3ヶ月になる。
辞めてから思うのは、これほど尊い仕事ってなかなかないということ。
世間では「教師はブラックだ」「教師の働き方改革を」「抜本的な改革が必要だ」という意見を、特に最近多く見かける。たしかに、部分的には間違ってはいない。必要な改革はスピーディーにやり是正すべきだと思う。
でも、どんな改革においても「子どもたちにのため」という大義を忘れてはならないと思う。つい「改革」が先走ると、その大義が置いていかれてしまうことがままあるから ———。

前提、そして結論。政治家も教育委員会も地域も学校も、誰も間違えてはいない。
何かと政治的文脈で話をすると、「◯◯はだめだ」みたいな、そこで話が尽きる切り口の批判がしばしば展開される。僕はこの病理、すごく無駄だと思っている。政治家は政治家として、教育委員会は教育委員会として、地域は地域として、学校は学校として、それぞれの立場の人間は、それぞれの立場で一生懸命やっている。これって真実だと思う。
でも、それなのに結実しないのは、それぞれの立場の一生懸命が、それぞれの文脈の中での一生懸命に留まっちゃっているから。だからむしろ、議論が深まれば深まるほど、目的との乖離が広がる。ズブズブと、沼る。それが互いの批判合戦で終わればいいんだけど、最終的に辿り着く場所はいつも同じ。互いに「勝手にしろ」って言って諦め、そして無関心モードになってしまう(OMG…)。要するに、みんなそれぞれの文脈の中では本当に一生懸命なんだけど、スタートからベクトルがバラバラだから、いくら全力疾走してもいつまでもゴールに辿り着かない。そのうちスタミナが切れてしまう。そんな感じだ。

そういう時は、原点回帰することが手っ取り早い。
教育業界にとっての原点は、いつだって「子ども」だ。改革することが目的となった「大人のための改革」じゃなくて、まっすぐに「子どもたちのための改革」であってほしい。これ、聞こえが良い理想論に聞こえるかもしれないけれど、実は最近、先生方がやったこと。コロナという力技によって原点に戻されたあの日を思い出してほしい。

全国一斉臨時休業が取られた2020年3月2日。
あの日、学校教育に携わる誰もが「子どもたちの学ぶ機会を守ろう」と、必死に色々なことを考えた。教員は毎日課題を作成したり、オンライン授業を試みたり、教育委員会もタブレットの配布の整備をしたり、感染防止策を講じたり、企業もアプリを開発・提案したり、それぞれの立場の人間が一つの目的のために試行錯誤した。前例のない事態の中での必死の改革だったからトラブルは尽きなかった。だけど、目的が明確だったから、荒療治ではあったものの、時間の経過とともに、その改革が少しずつ実っていく感覚があった。全て、原動力は「子どもたちのため」だった。

「理想論」とは何か。
理想とは、実現可能な相対的な究極状態と、実現不可能だがそれでも行為を促す絶対的な状態の二つに分けられる(少しムズイ)。僕は学校教育における理想は前者だと思う。学校教育はあくまでも相対的なものなのだから、自分たちが理想と認識している「フェーズ」を下げてしまえばいいと思う。つまり「現場」フェーズまで下げてから論じていけばいいんじゃないかと思う。要するに、議論の始まりに常に「子ども」がいる構図だ。
実はこの構図、学校の教育活動と全く同じだということに気付いてほしい。学校教育活動は、必ず出発点に「子ども」がいる。授業づくりをするとき、校外学習や修学旅行の行き先を決めるとき、運動会や学習発表会の計画をするとき、部活動の方針を決めるとき、あらゆる教育活動の出発地点には、必ず「子ども」がいる。

だから実は、教員の働き方改革って、政治レベルの話ではなくて、実は「現場レベル」の話なんじゃないかなって、最近は思っている。何か明確な答えを出せているわけじゃないけど、言いたいことはすごくシンプルなことだ。
現場の教師は、日々粛々と、まっすぐに子どもたちを愛する。そのための授業づくりをする。そのための行事づくりをする。そして、そのための改革を「先生」がする ———。こうして、改革は自然に始まる。
これが、教育現場を退いた僕が、先生方に向けて語れる、少しのことだ。
あ、一つ言っておいた方がいいと思うので言及させてもらうと、全てを現場の先生任せにしているわけではないってことだ。5年間で思ったことは、これからの学校は、学校だけでやっていかなくていいんじゃないかってこと。学校が保護者や地域や社会に良い意味で甘えて、今まで以上に連携して、互いに協力して、子どもたちための学校をつくっていけばいいんじゃないかって、そんなことを思ってる。

だから僕は、そんな先生方の力にもなりたい。
5年間、学校から社会にベクトルを向けてきた。もっと良い学びの場をつくるためには、逆のベクトルも不可欠だと感じた。だから、それに気付いた日から居ても立っても居られず、現場を出ることにした。そして、今はベクトルを社会から学校に向けるために試行錯誤している。
最後の学年集会で子どもたちに誓った。「先生はみんなよりも少し早くここを卒業するけれど、必ず、みんなが伸び伸びと活躍できる社会、子どもたちが楽しめる学校をつくっていくね。」もはや、自分の使命だと思っている。


その時は「先生」としてではなく、パパとして。

5年間で親御さんには多くのことを教わった。
だからなんとなく、今からワクワクしていることがある。すごく個人的なことだけど、この先、僕が父親になったら、できるだけ学校の教育活動には関わって、先生たちと一緒に子どもを育てていきたいと考えている。もちろん、その時は「先生」としてではなく、パパとしてだ。これだけ多くの親御さんに支えていただいたんだから。これだけ多くの親御さんに手本を見せていただいたのだから。この恩を、今度は自分が親として、日本のどこかで返していきたいと思っている。そして、微力ながらも地域の力に貢献できればと思っている。
さらに、欲張りと言われるかもしれないけれど、僕が親として学校の一助になることで、またどこかの先生を勇気づけ、それが広く社会の中で連鎖していくことを願っている。少なくとも僕は、その「勇気づけられた人」だから。このちっぽけな力が、どこかの誰かを勇気づけ、それがみらいに繋がっていく———。そんなことを信じて、これからも歩んでいきたい。


みんな、「愛情モンスター」だと思う。

さて、せっかく「親」としての文脈で文章を書いたから、ついでに一つ、僕がずっと気にかけていたワードを出したいと思う。それは「モンスターペアレント」というワードだ。教育現場では、この言葉がしばしば流布される。でも正直言って、僕の頭ではこのワードは理解不能。なぜかって、みんなモンスターだからだ。←え?笑
言ってしまえば、保護者も先生も、みんな「愛情モンスター」だと思う。しかも、子どもたちが赤らむくらいに、愛して、愛して、愛しまくる、やばいモンスターだと思う。だから、現場では時々、情熱的な火花が散ることもある。みんな本気だから。そうやって、学校の熱量はぐんぐん上がっていく。熱中症警戒アラートは常に振り切れちゃってると思う。だから、そんな熱々の場所に雑音が入り込む余地なんてないと思う。

一体何を言っているのか。

最近、教育はまもなくAIに代替される衰退産業だと言われることがある。でもこれ、僕は的外れな見解だと思っている。まず大前提として、教育は「産業」ではないし、ましてや「愛すること」は、AIにはできない。子どもが物に当たって暴言を吐いた時に、黙ってその子を抱きしめてあげられるだろうか。残念ながら、難しいと思う。理屈じゃないから。たしかに、AIもローマ字読みすれば「あい」だけど(ドヤ)、本物の「愛」というプログラムは存在しない。
だからまた話は戻るようだけど、先生たちにはもっと目線を上げてほしい。まだまだ「先生」は、この先もずっとなくてはならない存在だから。

そして、親御さん方にお願いがある。

そんな先生たちを、これからも励まし続けほしい。そして、先生と保護者で、一緒に学校という不思議な空間をつくり続けてほしい。もっと、もっと、もっっっと、不思議な空間にしてほしい。目標は、AIに理解できないほどの不思議な空間だ。そんなことを、ひそかに願っている。


この伏線はしっかりと回収していきたい。

さて、起承転転転転転転転転転転くらいにまで話が膨らんでしまったので、そろそろ結ぶことにしますね。

教員としてのキャリアをスタートしたのが、新小岩でよかった。
教員としてのキャリアにピリオドを打ったのが、新小岩でよかった。
運命って本当に不思議だなと思うことがある。実は僕は、昔から新小岩によく訪れていた。中学校から高校までサッカー部に所属していた僕は、部活動で毎週のように新小岩の私学グラウンドに足を運んでいた。さらに高校卒業後も、今度はサッカーの審判員として、試合があるたびに足を運んでいた。灼熱の中ピッチを駆けずり回り、試合に負ければ、よくあの青のタータントラックを何周も走っていた。必死で走っていると背中から総武線が追いかけてくるようで、なんだか悔しい思いをしたのを覚えている。審判員になってからは、よく試合後にラーメンを食べてから帰宅した。そうやって、13くらいから「新小岩」にはよく通っていたから、任地が決まった時はなんだか運命的なものを感じた。
僕が中学生の頃は、まさか自分がこんなにも新小岩という場所を愛することになるとは、思ってもいなかった。まさか社会人になって、教師として新小岩に戻ってくるなんて、さすがに、こんな展開は想像もしていなかった。
これから先、この伏線はしっかりと回収していきたい。そして、物語を完成させたい。それが、ふるさと新小岩への恩返しになれば嬉しい。そんなことを思うと、なんだかわくわくする。


「ただ、本音を漏らすとさ。そりゃね。」

さて、社会の中でも学校は不思議な空間であることを先にも述べてきた。一切の営利を求めず、ただひたすらに「子どもたちの成長」を考えて、それを必死につくる空間、それが学校という場所だ。
だからその学校を、もっと、もっと、今よりも良くしようと思ったら「通常の」やり方では足りないと思っている。だから意を決して、学校の外側から惹起しようと思い、教師を辞めた。
時代や社会が右向け右の時に左を向くことは、すごく辛くて、大きな痛みを伴うってことはわかっている。だけど、社会のような大きなカタマリを変えるためには、少なくとも手始めに、誰かが左を向かなくてはならないと、そう思う。

昨年の夏休み前、鬼滅の刃の煉獄杏寿郎の絵を黒板に描いた。そんな杏寿郎の母 瑠火が語った言葉が、なんだか不思議と自分の中にずっと留まり続けている。

弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です ———。

この言葉は、誰もが時に「強き者」であり、時に「弱き者」であって、自分が「強き者」である時には、弱き者を助け、守り続けなくてはならないという意味だと、僕は解釈している。今の僕が「強き者」かどうかはわからない。ただ一つ、僕にとって、今がその「時」だとは思っている。だから、左を向いて、子どもたちのために、日本の教育に力を尽くしていきたいと思っている。何年かかるかはわからない。でもこれが、僕という人間の責務だと思っている。

ただ、本音を漏らすとさ。そりゃね ———。

「先生」を辞めたくなかった。でも、だからこそ、これから生涯かけて、この責務を全うすることは、自分を先生たらしめる、唯一のかけがえのない行動だと思っている。

ずいぶんと長くなってしまったようだ。
最後はシンプルに、親御さんに伝えたいことを、伝えよう。

素敵なお子さんに出会えた僕は、本当に幸せ者です。素敵な時間を、本当に、本当に、本当に、ありがとうございました。これからの、お一人おひとりの成長を、僕は心からずっと楽しみにしています。

教師を辞めた僕が、いま保護者に伝えたい感謝のことは、これで以上だ。


藤澤 和駿

追伸


白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず

勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して

懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通った嬉しさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて

勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して

今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に

今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に


最後に、ひとりごと。

この子たちの歌声が聴きたかった。

本当に、おしまい。

2023年6月17日


(使用した写真)

人生最後の授業となった特別授業「2031年、またここで会おう。」
青空に包まれる中学校、ここにあり。
あまりの成長速度に本当に驚いた。
素敵な歌声に感動した合唱コンクール。
同じ物語を書き綴れただろうか。
毎日たくさんの「ありがとう。」
コロナ禍を一緒に乗り越えてきた。校庭から眺めて勇気をもらった。
ここで力を尽くしてきた。
本当にありがとう。宝物だ。
4階からのこの眺めが一番好きだった。
学校の前の桜並木は毎年の楽しみだった。
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です ———。
「ただ、本音を漏らすとさ。そりゃね ———。」
今まで、ありがとう。

おまけ。

なんだって、全力を尽くすと、おもしろい。


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