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共著の英語論文を出します

ニュートンの三大実績は全てペスト禍の18ヶ月で為されたらしいが、論文を書くのはいい「おうちじかん」の過ごし方だ。

たとえば過去のGW、2017年は修論締め切り前(6月卒業)で排泄以外は部屋から出ず、2018年は修論をnoteにアップし続けるだけで連休を終え、2019年は祝日休みではない職場で普通に連勤だった。

今年は尻から根を生やしつつ論文を書いていたが、世界中の人が一緒に自粛してくれていたので、例年よりマシだった。

論文の概要

3月に指導教官が書いた序章と第1章を受け取った。私は第2章と結論を書いている。
指導教官は1996年頃に主婦の茶道修練者を対象に、私は2016年前後に会社員の茶道修練者を中心にフィールドワークを行った。

それぞれのインフォーマント(研究対象者)の共通点は、家庭や会社などの所属先とは別の居場所を「茶道」の中に見つけたことである。この20年間で茶道修練者に起きた変化を踏まえつつ、平成時代の人々が茶道をしていた意味を明らかにする。
…家父長制の観点から。(指導教官はジェンダーセクシュアリティ研究の専門家でもある)


茶道や流派というと、名実共に男性がトップで構成員は女性が大半を占めるが、それは会社も戦後期の家族も似ている。男社長なんて言葉が存在しないほど社長は男性であることがベーシックで、女性社員が多い会社でも役員レベルはほぼ男性であることは多い。

しかし女性側や茶道教室の生徒側は、ただそこにぶら下がっていることはないし、ぶら下がっているように見えたとしてもそこには合理性がある。
一方的に搾取されるだけではない、絶対的な上下のある世界ではないかもしれない、という話になっている。


分析の切り口の変更により、自粛期間中はジェンダー関連の文献をよく読んでいた。実は、生半可にジェンダーに触れるのを避けていた結果、修論では驚くほど性別による分析をしていなかったのだ。


家父長制から見たインフォーマント

↓たとえば修論のこのページにある「茶会で茶菓子として硬い瓦煎餅が供され、上司を思い浮かべて拳で割ることを推奨される」というエピソード(これも全て真顔で英訳した)。

家父長制として見ると、このエピソードで現れるのは「男と女」という対立ではなく、「上司と(平)社員」の対比である。「男」ではなく、「上司」を仮想敵に設定している。
このとき茶会の参加者側(社員側)は会社員特有の悲哀を共有する者同士として、サラリーマンもOLも男女関係なく横の関係で繋がる。これは国際的に珍しい現象でもある。

茶道の大まかなルールとして、同じ茶席に入った人たちは正客(上座に座るベテラン、だいたい男性)とそれ以外(二番目に偉い人、三番目...)と区別される。
研究対象の人々が催す茶会で「横の関係で繋がる」のが可能なのは、上記のようにジェンダーとは別の軸を設けたからかもしれないし、茶道の経験年数を気にしなくてよいほどに点前を意識させない茶会だったからかもしれない。


「お茶の仕事」はどう思われているのか

指導教官に指摘されたのは、日本人がなぜ嫌々ながらも会社に時間を吸い取られているのかが、「国際的な読者にわかるように」説明されていないということだった。
海外の人であれば嫌な職場はスパッと辞めてしまうので、日本人が愚痴りつつ会社を辞めないのは奇妙である(だからその理由を書く必要がある)ということだった。

えっ、そんなの会社辞めたら(お茶だけじゃ)食っていけないからだよ! と思う人の大半は日本人であり、海外の人にとってはそもそも「お茶で食う」のイメージも湧かず、それが儲かる仕事なのかどうかも分からないだろう。そしてそれを一般論ではなく、論文に書ける「データ」として示さなければならない。

でも修論を書いたとき私は働いてもない院生で、他人の労働について述べるのに遠慮があった。働いている今でもそうだ。


実際の経験という「生データ」

そこで足したのが、「私(第二筆者)」のデータ。
私がお茶点てる系の社員(「やりたいこと」を仕事にしてるように見える人)になって、他人から言われたことを足した。

私は転職してからというもの「お茶で食っていけるの?」と尋ねられることや、名乗っただけで明らかにお呼びでない顔をされることが複数回あり、職業に貴賎はあるなと感じてきた。
それが「お茶」の仕事なんかしてる若造になら言ってもいい「冗談」だとしても、全然面白くないよと言ってあげたい。

稼ぎを馬鹿にされるのは、職業以上に私の性別や年齢も関係あるが、それもそもそもおかしい。(本当のことを言ったら誰にも心配されない程度には稼いでますし、他人の職業について面白くもない冗談は言わないほうがいいでしょう。)


noteに遠慮なくこんなことが書けるのは、これが私の経験だからだ。もし他の人が私と同じことを言われていても、その人の職業は価値が低いと思われているだとかは、とても書けないだろう。
その意味で、自分の経験以上に雄弁な、つまり「遠慮のいらないデータ」を持たないと知った。海外の人が読んだら、私が自分の仕事をひどく貶めているように感じるだろうか。

それを理解してくれている指導教官も、私自身のデータ部分を削除するようには言わず、最後まで残してくれた(自分について話す場面は完結に、とは言われたが)。

そうしてできあがった第2章の第4セクションは、今回のための完全書き下ろしである(他のセクションも、修論のデータを元に文章は書き直している)。
その第4セクションが、ちょっと令和のデータも加えた、いろんな意味で修論の続編とも言うべきパートだと思う。


仕事と「やりたいこと」(自分編)

実は、今の茶業(?)に転職する前に書いたnoteで、自分の働き方が「会社員としてお茶を仕事にするインフォーマント」としての「生データ」になると書いた。

指導教官に転職すると伝えたときも、仕事頑張ってくださいとかではなく「データ収集に励んでください」と言われたほどだ。

転職してからというもの、データは一方的に集まっていき、それを論文にする機会も与えていただいて、本当に「生データ」をちょっと論文に組み込むことができた。

正直、転職してから一番やりたかったことだった。


論文中では、「”やりたいこと”を仕事にすることは常に低賃金や悪条件とセットで語られる」ことについて触れた。換言すると、やりたいことをやっている人は低賃金であってほしいと思われているのではないか、とさえ思っている。

しかし私は、茶を点てられるなら低賃金でいいなんて思ったことは一度もない。(家でお茶の写真を撮る時間が欲しくてフルフレックスの会社で働いてたことならある。)


論文を書いてはっきりしたのは、茶会で5時間正座したりしてかき集めたデータと、そこから導き出せることを活かしたいという想いである。その意味で、「今後も茶人でいること」自体の意味はどんどん薄れていくだろう。

活かし方は論文じゃなくてもいいと思う。でも、アカデミックな場でも活かせたらという気持ちもある。


実はまだ終わっていない笑

今は英文の校正をしてもらっている最中だ。校正された原稿が返ってきたら、学術誌に提出。その後査読が通ってくれると、査読つき論文の掲載2本目となる。

学生時代は指導教官に一文字も褒められることはなかったが、今回は「内容は面白いです」と言われて、まだ終わってないのに終わった気になっていた。

指導教官と共著という綺麗な展開を用意していただけただけでも、あの修論データや私の生データも、さぞ浮かばれると思う。


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