見出し画像

子どもが「自分」を表現するために、私たちができること

「ママ、見てみてー!!」

こども園から帰ってきた長男が、リュックの中からゴソゴソと
園で取り組んだお仕事を(モンテッソーリ教育では、
子どもたちが自分で選んで取り組む活動を
”お仕事”と呼んでいます)見せてくれるのが我が家の日課です。

先日も、帰宅するやいなや、はりきってぬり絵を見せてくれました。

「おおー、これ、ゆうすけが塗ったんだねえ!」

と伝えると、ニコニコしながら、

「きれいでしょー。虹みたいでしょー。」
「とってもカラフルでしょ♪」

とうれしそうな表情を見せました。

彼の得意げな表情を見ながら、気がついたことがあります。

それは、私は、

ぬり絵=線からはみ出さずに、きれいに塗るのが上手なやり方
ぬり絵=現実の色をそのまま反映させるのが正しい描き方

という前提を持っているということ。

そして、彼にとっては、

ぬり絵=楽しむもの、没頭するもの(上手にとか、正しく仕上げるものではなく)
ぬり絵=好きな色を選んで、鮮やかに描くもの

なのだなあ、ということ。

そして、彼の満足げな表情は、

「僕は、僕の描きたいものを表現できた!」

というよろこびからくるのだということです。


親になり、自分は、自分で自覚している以上に、
無意識の前提や、枠組みを持って子どもたちを
見ているのだと気づいてはっとすることがあります。

このぬり絵のエピソードは、一枚のぬり絵を通して
私と彼の間で交わされたささやかなやりとりですが、
ふと、ぬり絵を「人生」に置き換えてみたときに、
とても大事なことに気づかせてくれるように感じます。

子どもたちに、どこまでも伸びやかに、
自由に自分を生きてほしい、表現してほしいと願うとき、
自分の持っている親としての前提に気づきながら、
私は、どれだけ透明なまなざしで、子どもたちから
現れてくる世界に好奇心を向け続けることができるだろうか。

いつも、心の中で問うていたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?