見出し画像

人を変える 自分を変える

我が家は一昨年の12月に実家を建て直して我々家族が実家に戻ってからは両親2人、私、妻、子供2人の6人暮らし。

朝食、昼食は全員バラバラだが、夕食は基本的に6人全員で揃って食べている。

家族の中で仕事をしているのが私だけなので、私の帰宅に合わせて夕食が開始となる。

私が家に入ると妻とお袋が「ご飯だよ」と他のみんなに声をかけ食卓に集まっていた…が、

他の家族は夕飯になるだろうとおおかた準備をしているのだが私は家に着いたばかり。スーツから普段着に着替え、飼っているメダカにエサを与え、手を洗い、うがいをして、顔を洗い、目の洗浄をし、軽い運動をしてから食卓に着くというルーティーンになっていた。本当はできれば少し気持ちを落ち着かせてスマホなんぞをチラッと眺める時間も欲しい。

しかし、私が部屋で着替えている間にみんなに食卓に着いているのだ。

最初は全ての行程を大急ぎで行い慌てて食卓に着いていた。しかし、ほどなく「仕事で疲れて帰ってきているのに何で俺が他の家族に合わせなきゃいけないのだ?」と不満に感じてきた。

そこで帰ったところで「あっ、時間かかるから先に食べてて」と妻に伝え、自分のペースで食事前の準備をして他の人に数分遅れて食卓に着く…という少し心地よい状態になった。

そしてしばらくすると毎日「先に食べてて」というのが面倒臭くなり、妻に「もう言わなくても先に食べててね。俺も急かされるの嫌だから」と話して、他の5人が食卓に着くと私が何も言わなくても妻が「先に食べててくださいとのことです」と告げて先に食べ始めていた。

ところがある日、寝る前に妻に「今日、お義父さんに怒られた…」と言うのです。

聞いてみると、私が洗面所にいる間にいつものように「先に食べててくださいとのことです」と告げると私の親父に「そういうもんじゃない‼️」といきなり怒られたらしいのです。たまたま親父の虫の居所が悪かったこともあるのでしょう。

親父の「一家の大黒柱が帰ってきてから食事を始めるのが敬意、当然のこと」だという気持ちも理解はできるのですが、私は「こちらが望んでいない『思いやり』は迷惑だ」という考え方。

そのことを親父にきちんと言えばいいと行かけたのですが、親父にもう年なのでこちらの言うことは全く聞かないことは分かっている(苦笑)。

私はそんな親父を放っておくのも面白くないので時々ガツンと言うのですが、そうすると親父は私に直接怒れないからお袋に怒る。そうするとお袋が嫌な思いをする…。

そこで妻に、
「いつも自分の帰りを待って夕飯にしてくれている気持ちには感謝している」
「しかし、帰ってすぐに私を食卓に着かせることは落ち着かないから止めて欲しい」
「家族みんなで一緒に食事をしたいけど、そのために私の帰りを待っているというのは他の人の時間を無駄遣いさせることだから私はそこまでして一緒に食べることを望んでいない。食事が一緒でなくてもコミュニケーションの取り方はいっぱいある」
「親父にガツンと言おうと思ったが結局お袋と君が当たられるだけなので自分としてはしたくない」
「とにかく君に嫌な思いをさせたくない」
という考えを話した上で次のような提案をしました。

「私が食卓にきたところで皆に『ご飯の準備ができたよ』と声をかけて欲しい」と。

もし、一緒に食卓を囲むのが働いて帰ってきた私への感謝の思いから出るものなら私の行動を基準にして欲しいと話しました。

その提案を妻がお袋に話し、私が一番最初に食卓に座り、その後に他の家族に声をかけるようになりました。これで私はゆっくり準備して落ち着いて食卓に着くことができ、親父もイライラすることなく楽しく夕飯の時間を迎えることができるようになりました。

ですが…しばらくすると、お袋も年なんでしょうね、私が帰るとすぐに「お父さん、夕飯ですよ」と声をかけるように戻ってしまったんです

お袋は若い頃から抜けているところがあって、何回も同じことを言わないとダメなんですが、年を取って余計にそういう傾向になってきました。なので今回お袋を注意してもまた同じ注意をしなければならないことが必然。

妻が子供たちに声をかけるのを送らせて私のタイミングに合わせるようにしていましたが、親父を一人待たせるわけにもいかないので親父が来た時点で子供たちに声をかける。また私が忙しくなる夕飯に逆戻りしてしまいました。

なので結局私の「あっ、先食べてて」が復活。しかし、妻は過去に親父に怒られたことから絶対に食べ始めない。今まで以上のプレッシャーで私は慌てて食卓に着くことになってしまいました。

そこで私は…

夕飯前にやっていた軽運動を朝やることに切り替えて帰宅から夕飯までの時間を短縮することにしました。

今のところ、これでスムーズになっています。

人の悩みは突き詰めていくと全て自分の健康問題か人間関係に起因すると思います。

人に意見したり、指図することは誰もが嫌なこと。

そんな時、まずは相手に関わらない今ある流れを変えてみる。そして自分の流れを変えてみる。

「自分の流れを変えてみる」ことを「相手に負けた」、「自分だけバカをみた」とか「妥協してしまった」と敬遠する人もいますが、そのあたりは自分のプライドや気持ちとの相談。

私は常に「人の性格は25才を過ぎたら、よほど衝撃的な出来事を体験しない限り、絶対に変わらない」という信念に基づいて人と接しているので、「自分の流れを変えてみる」が自分にストレスを与えない最良の方法だと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?