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#097 『認める』 娘に贈る99の言葉

人は誰しも認められたいイキモノではないか⁈と思っている。
私も認められたい部分は多い。

自分が頑張った時、うまくいったと思った時は認めてほしいと思ってしまう。
逆もそうで、自分が頑張れてないと思った時や、うまくいったか自信が持てず不安な時は、誰かに認められて安心したいと思ってしまう。

確認したわけじゃないけれど、おそらく多くの人は認められたい願望を持って生きているのではないだろうか?

ちまたではそれを『承認欲求』という。
または『存在意義』という言葉で表現されるのだと思う。

私の勝手なイメージだけど、承認欲求の強い人は、人を認めるのが下手だと思う。

相手を認めたら、自分が負けになってしまような気分になるのだろうか?
褒めることも認めることも少ない。

相手を認めることがないのは認められる経験がないからなのだろうか?

そう思うと、幼少期に一番必要なのは、誰かを認めている姿勢を学ぶことになるんじゃないかまで思ってしまう。

幼少期に自分を認めてもらう経験の大事さもあるが、周りの人間が、他の誰かを認めている姿を見て学ぶことの方が大事に思えてきた。

『認める姿勢』を学べるロールモデルのような人が幼少期にいたならば、大人になって人を認めることが自然にできるようになるのかもしれないな。

認められたい時、まずは相手を認めることから始めるといいと思う。

これも、私の勝手な感覚だけど、人を認めるのが上手な人は、人に認めてもらいやす気がしている。

認める・認め合うことも循環なんじゃないかな。
認めてほしいなら相手を認めるところからはじめれば『認める循環』が生まれやすい。

一方的に認めて欲しいだけで、人のやっていることを見もしない、認めもできない人が、誰かから認められるわけがないかもしれないね。

認められたいと心で思ってしまったならば、視野が狭まっている証拠かも。
周りに目を向けるために目線を上げる必要があるね。

認められるべきは自分だけではないと思う。
世の中の全てに目を向けられたなら、自分も周りの人も自然と認めあえる。
ホントはこれが理想だよね。

人に認められたいなら、まず、あなたから認めなさい。

名言風にしめくくってみました(笑)


2024.1.12
ばたち

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