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心に残るあの人の言葉

「男は泣くんじゃない!」
現在、小学3年生の息子が、幼稚園の年中の時の担任の先生は、厳しかった。ひといちばい敏感で慎重な息子は、先のことを予測しては、小さな胸を不安でいっぱいにして、よく泣いていた。傍から見ると、まだ何も起きていないのに泣いているから、不思議だったのだろう。だからこそ、担任の先生からすると、訳も分からず、余計にイライラしてしまったのかもしれない。
「男は泣くんじゃない!」
担任の先生は、何の気なしに言っていたのかもしれないけれど、私たち親子には、その言葉が、ズシリと響いていた。
だけど、息子は、どうしても、事あるごとに泣いてしまい
「泣きたくないけど、涙が流れてきてしまうんだ」
と言っていた。そして、私は、私で
「外では泣かないで! 泣かれてしまうと、お母さんは辛いんだ」
と言っていた。多分、そのことが、余計に息子を追い詰めていたと、後になって思った。
そんな八方塞がりの時に、ベテランの主任の先生と話す機会が、思いがけず訪れた。相変わらず、下駄箱で私と別れるのを嫌がって泣いていた息子を、どうにか教室まで連れて行き、不機嫌な担任の先生に引き渡して帰る時のことだった。正門のところに、ベテランの主任の先生は立っていた。
「ご苦労様です。息子さん、元気に行きましたか?」
元気に? 何をもって、元気というのだろう? 他の大多数のお子さんみたいに、下駄箱や、あるいは、自転車置き場で、ママに「いってきます」と笑顔で手を振って別れることができることをもって、元気というのだろうか? それなら、それは、うちの息子はできていないよ、わかっているくせに……。少しイラつきながら、私は、笑顔で挨拶してくれた先生の顔を見た。すると、心に溜まっていたものを、急に、吐き出したくなった。
「先生、うちの子、相変わらず、泣いていました……ちょっと、話、聞いてもらってもいいですか?」
「どうしましたか?」
もうすぐ閉門の時間だったので、そこには、先生と私のふたりだけしかいなかった。
私は、息子が、入園してから2年半近く経っても、朝、別れる時に泣くことや、他のお子さんたちが、下駄箱で別れることができるのに、息子は、教室まで送らないといけないことが、いつまで続くのかと、不安で仕方ないという気持ちを打ち明けた。
「いつになったら、泣かなくなるんでしょうか?」
このベテランの先生に話したんだから、何か、納得できる言葉をくれるものだと、私は、少なからず期待していた。それなのに、
「さあ、どうでしょうね」
と言われて、驚いた。試しに、もうひとつ、聞いてみた。
「小学校に入学しても泣くんでしょうか?」
「そうですね。おそらく泣くでしょうね」
「え?」
「だって、個性ですから。泣く子はずっと泣くし、泣かない子は、泣かないでしょうね」
「はあ……」
私は、「大丈夫ですよ! 小学校に行ったらもう泣かなくなるでしょう! 今だけですよ! 息子さんも、お母さんも頑張っていますね! もう少しの辛抱ですよ!」とかなんとか、先生が言ってくれるものだと思っていたし、そう言ってもらいたかった。それなのに、「きっと、ずっと、泣き続けるでしょう」となんて言われて、目の前が真っ暗になった。
ああ、先生に相談なんかしなければよかった……そう思って、その場を立ち去ろうとした時、
「息子さんの人生なんですよ。大きくなれば大きくなるほど、一緒に居てあげられる時間は、どんどん減るんです。お母さんが替わってあげることはできないんですよ! だから、心配する気持ちはわかりますが、信じて見守ってあげてください!」
と少し厳しい顔で言われて、ハッとした。
まさか、そんな風に言われると思わなかった!
何も言えないで呆然とする私に、先生は
「幼稚園に預けたら、もう心配しないで、自分の時間を過ごしていいんですよ」
そう続けて、今度は、笑った。
私は、半分叱られて、半分気持ちに寄り添われた気がして、悲しいのか嬉しいのかわからなくなった。気がついたら、目から涙が溢れて、止まらなくなっていた。
「あら、ごめんなさいね。お母さんのこと泣かしちゃって」
「いえ、ありがとうござます。こちらこそすみませんでした」
「息子さんは、泣いても、頑張って、結局、ちゃんと、やってるんです! 大丈夫ですよ。信じましょう。それに、こんなに一生懸命にお子さんのことを考えているお母さんのお子さんなんですもの、絶対に大丈夫ですよ」
そんな風に言われて、さらに、涙が溢れてしまった。
結局、その朝は、涙が止まらず、泣きながら幼稚園を後にした。
"信じて見守る……"
その後、その言葉を、よく思い出すようになった。それは、決まって、息子が周りの子と比べて、できるようになることが遅く、私が不安になった時だった。
そうだ! 息子の人生なんだ!
そうやって、思い直して、信じて見守ろうと、心を決めると、気持ちがスッとし落ち着くのだ。
だから、あの時、叱ってくれた先生に、今、心から感謝している。

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