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PLAN75を観て整体師が思ったこと

先日AmazonPraimでPLAN75という映画を観たのだけど
それは「75歳以上は自分で死ぬことを選べる政策が通った世界」の話で
自分が75歳を過ぎて、仕事もお金も住む場所もなくなった時、
合法的に死を選べるのはありかもな、なんて思ったけれど
それを選んでしまうのは、人との繋がりが切れた時で
誰かの顔が思い浮かんだら死ぬことを選ぶことはできないな、と思った。
それが合法でも。

誰の顔も浮かばなかったとしても
やりたいことがあったら、まだ死ねない、と思う。
生まれるのも死ぬのも、自分で選ぶものではない気がしました。

私のお店は整体院で、75歳以上の人も沢山看てきたけれど
それは休憩としての整体院の使い方とは違って
生きていく活力として来店していたように思います。

自分より若い人と話をしよう、とか
スマホの使い方を教えてもらおう、とか
自分の思うことを聞いてもらおう、とか。

身体のバランスが、とか
膝の使い方、とか
そんなことよりも整体院まで出てくることが大事でした。

これは75歳以上に限った話でもなく
仕事を辞めた時や
子育てが落ち着いたときに
やることがなくなったと感じてしまったりする。
そして引きこもってしまう。
死を選びたくなってしまう。

やることがあるって大事で
人と繋がっているって大事です。
死を選んでいい、なんて法律は生まれないと思うから。
やることなんて、自分で作ればいい。

そこを面倒くさいなんて言っていると
怒られるの、整体院で。
でも怒られる付き合いがあるのもいいと思っています。

どこか身体を治したいとか、そういうのじゃなくても
整体に行く意味はここにある気がします。


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