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熊野(その2)

ずっと行きたかった熊野古道

熊野速玉大社の後、バスで熊野古道まで運んでいただいた。扉絵の写真が訪れた場所。世界遺産になる前に行きたかった場所だったかな、とは思っている。何故なら、世界遺産認定されたことで観光客が増え過ぎてしまい、以前の苔むした古道の雰囲気がすっかりなくなってしまっていたからだ。こればかりは仕方がないが、ここに直接来られただけでも御の字だと思った。昔から多くの方がこの道を通って、この上の熊野那智神社や那智の滝に訪れたのかと思うと、それだけで胸が打ち震える思いだった。あまり多くの時間は取れなかったけれど、少しの間だけでもこの道を歩いて、この環境の中に身を置けただけでも本当に感動の体験だった。

正直に言えば、何かがあったわけではない。そんなことは最初からわかっていたし、それでよかったと思っている。昔は、みんなこんな感じだったし、今でもそれが殆ど変わらない状況で残っていることがここの価値なのだと思う。一人でゆっくりこの環境に身をおくと、余計なことを忘れてじっくり自分と向き合う時間が取れた。何を考えたのかまで正確には覚えていないけれど、静謐な環境に飛び込み、ゆっくりとした時の流れを感じ、そこはかとなく浮かび上がってくる考えが自分の思いなのだな、と昔からよく感じる。そういう時間で、自分を取り戻していた。などと考えていたら時間が来たので、次の目的地、那智の滝に向かった。すぐそこだったので、歩いて登りたかった。

飛瀧神社と那智の滝

鳥居の奥に見える那智の滝 参道から見える景色に感動を覚えた

大きな目的の一つ、那智の滝を拝みに飛瀧神社へ行った。向かう途中から見えていたが、近づけば近づくほど音と迫力に圧倒された。この静かな山の中にこの滝はとても迫力があった。この滝をご神体として崇めたくなる気持ちもよくわかる。熊野古道を抜けてこの滝を見た時、本当に感動したことだろうと思う。私も、しばし色々な角度から滝を眺め、手を合わせ祈りを捧げた。滝の音と飛沫で、自分の澱も洗い流されたように感じた。本当にこられてよかった。やはり小説や写真では伝わらない、現場にいるからこそ感じられるそこはかとない畏れに近いものもあったように思う。言葉にする能力が低いからなのか、それとも五感で感じられることを言葉に表し切れないのだろうか、とにかく足を運ぶことの価値を感じた。是非、今度は家族で足を運びたい。

熊野那智神社

那智大社に続く階段 かなり長かった

最後の目的地、熊野那智神社へ参拝した。行くまでが思った以上に大変で、相当長い階段を登ることになった。とても良い運動だったし、その代わりと言ってはなんだが、登った先から色々な景色を見られた。少し離れていた那智の滝も見えて、すごく見晴らしがよかった。境内にあった大きな木の中に入ることもでき、歴史をとても感じる落ち着いた雰囲気に、改めて自分が落ち着いていくことが自覚できた。

塔に、滝に、色々なものが一緒に見られた

ツアーだったので、残念ながら自分が好きなだけゆっくり見るわけにもいかず、そこだけが残念だったが、それでも1日で熊野三山を回れたことが非常にありがたかったと思う。次、もし訪れる機会があるなら、自分で車を借りて、ゆっくり好きなだけ見て回りたいと思う。是非、皆様も直接足を運んでみられることをお勧めする。

実はこの旅行、この次に伊勢神宮を回った。その話は熊野の日ではないくらい相当色々なところを回ったので、それもまた紹介していきたいと思っている。

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