埼玉、それは関東の創英角POP体

見た映画の話「翔んで埼玉」

三年ほど前だっただろうか。ある衝撃的なツイートがTLを駆け回った。
「埼玉県民にはその辺の草でも食わせておけ!!」
「ああおぞましい!埼玉だなんて言ってるだけで口が埼玉になるわ!!」
パタリロの作者・魔夜峰央氏が昔に出した幻のマンガ、「翔んで埼玉」のスクショだった。

ああ、確かに埼玉ってそういうとこあるよね・・・と乾いた笑いが出てしまう。それが埼玉。
それからしばらく経って、近所の本屋で「翔んで埼玉」が復刊されているのを発見し、目ん玉飛び出るほど驚いた。幻だった翔んで埼玉が復刊されてる!あのツイートが原動力だったのか?私は早速購入した。その後大宮の駅構内でも「翔んで埼玉」が売られてるのを見て、埼玉県民ってめっちゃ心広いな・・・と感嘆した。

北関東は「ダメっぷりが愛おしい」みたいなところがある。
例えばそれは、私が創英角POP体の掲示物や、ワードアートがふんだんに使われたチラシを見つけたときの気持ちに似ている。
「だせぇフォントだな・・・だが、そのダサさがイイ」
「何だよこの虹色かつ影がついて弓形に曲がったロゴ。今更ワードアートとか・・・だが、そこがイイ」
ダサい。洗練されてない。そこが人間くさい。チラシを作った人間の息遣いや手が見える気がする。ここに生きて、ここでメシを食って、ここらへんのコンビニでカップ麺を買って湯を入れて車まで歩いてる(足元は健康サンダル)人間が作ったのかな、って感じ。
それは北関東で広大なコンビニの駐車場、だだっ広い平屋のショッピングセンターを見たり、夕暮れになると漂ってくる肥やしの香りをかいだときのような気持ちである。ああ、洗練されてない。生活に密着しちゃってる。デートでイオンに来て、それに完全に満足してるような「チャリで行ける範囲の幸せ」に生きてるカンジ。それが大人になると電車やら車やらで距離的には遠くになるんだけど、地続きの文化はあくまでも平屋のショッピングセンターだったりゴビ砂漠のごとく広がる駐車場のあるコンビニだったりする。そんな生活の匂いがすることが、たまらなく愛おしく感じる。「北関東、お前のそういうとこ、かわいいよな」と頭を撫でてやりたくなる。

映画自体は興行収入1位みたいだし感想はみんないろいろ書くだろうから私が言うことはとくになし。原作漫画は未完だったので、ある一つの形の「翔んで埼玉」の完成形が見られたことはとても嬉しかった。

私は埼玉が、北関東が好きだ。創英角POP体を見た時、クスリと笑って、「だが、そこがイイ」とつぶやく。国道を愛車ワーゲンで走って、山田うどんを横目で見、しまむらでバスタオルを買いながら「うん、これがイイ」と笑うのだ。そんな平らな北関東の暮らしは、時々たまらなく懐かしい。それはワードアートのチラシを見た時に似ている。

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