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優雅な"猛禽"

(ヘッダー画像及び文中の画像は全てウィキメディア・コモンズより拝借しました)

goo辞書によると【猛禽】の定義は以下の通りになるそうである。

もうきん‐るい〔マウキン〕
【猛×禽類】
タカ目とフクロウ目の鳥の総称。鉤 (かぎ) 状の鋭いくちばしと鉤爪をもち、小動物や他の鳥を捕食する。
出典:デジタル大辞泉(小学館)

goo辞書より引用

近年であればこれに更にハヤブサ目が加わる事になるだろう。ハヤブサの仲間はつい最近まではタカ目に含まれていたが、遺伝子的見地から寧ろスズメ目やオウム目に近い鳥だと判り、独自の目を立てられるようになった。以下、タカ目・フクロウ目・ハヤブサ目の鳥の括りには猛禽"類"とつけ、単に"猛禽"と記した場合はヒトに害を為しうる鳥を全て含むものとして話を進める。

他の鳥獣からは恐れられる猛禽類だが、然し彼等は人間に直接的な危害を加える事は殆ど無い(中世ヨーロッパでは家畜や人間の乳飲み子がワシに攫われたとする記録が少なからず残されているが、これらについては信憑性が低いと考えられている)。況して直接ヒトを殺傷出来る猛禽類ともなれば更に種類は限られよう。それも有史前に存在していた巨大種が殆どだと思われる。

若しも【ヒトに危害を与える】事が"猛禽"たる条件だとしたら、タカ目・フクロウ目・ハヤブサ目と言った"猛禽類"など問題にならない位に危険な鳥が世界には幾つか存在する。
例えばオーストラリアやニューギニアに棲息するヒクイドリは人間の背丈程もある大きな地上性の鳥だが、彼等は趾に10センチメートルはある長い、そして鋭い爪を持つ。この脚で蹴り飛ばされれば内臓破裂するか、最悪の場合腹を裂かれて死に至る程の危険性を持つ(ヒクイドリについての詳細は別記事【森の護り神】をご参照いただきたい)。

人間を死に至らしめる位の危険性を持つ鳥は他にも居る。それも割と身近に。

皆様は公園の池や堀に、朱色の嘴と大きな黒い瘤を持つハクチョウが放されているのを見た事がおありだろうか。あまりにもナチュラルに放されているので誰も気にも止めて無いが、実はこのハクチョウこそ、欧州各地で最も恐れられている野鳥のひとつ、コブハクチョウである。

陸に上がり、翼を拡げるコブハクチョウ

元々はユーラシアの限られた地域にしか居ない水鳥で、長い頚を含めて全長が1.5メートルにもなるかなり大型の鳥である。植物食寄りの雑食性であり、水草や陸上の草本を主食とする。英語圏では【Mute Swan】(沈黙のハクチョウ)と呼ばれる。これはハクチョウ類としては珍しく、「シュー」と言うかすかな唸り声以外の音声を出さない事による。他のハクチョウ類が頻繁に高い声で鳴き交わすのとは対照的である。中世ヨーロッパでは【ハクチョウは普段は鳴かず、臨終の瞬間の時にだけ鳴く】と言う俗信があり、その俗信に因んだクラシック曲もあったかと記憶している。この俗信は恐らくコブハクチョウの習性に由来すると見て間違いない。
日本には迷い鳥として1933年に大陸から八丈島に飛来した記録が1例あるのみで、恒常的に大陸から野生のコブハクチョウが飛来する事はほぼ無いと見て良い。
然し、このコブハクチョウは古来より欧州各地で【王者の鳥】と呼ばれ、貴族がこぞって飼育していた歴史があり、城の堀には必ずコブハクチョウが放たれていたそうである。そしてその流れを受けてか、コブハクチョウは日本にも導入され、各地の公園でその優雅な姿が見られるようになった。

ところがこのコブハクチョウ、姿かたちの優雅さとは裏腹に非常に気性が荒いのである。その上縄張り意識がかなり強く、狭い水域に複数のコブハクチョウが居ると即座に激しい争いが繰り広げられる。
コブハクチョウの【武器】は嘴と翼による暴打だ。嘴は突つくと言うより激しく噛みつくのに用いられる(人間が噛まれれば青痣になる位の威力がある)。そして翼での打撃も侮れない。ヒトで言えば親指に当たる【翼角よくかく】と言う部位が非常に固く、この部分を武器に激しい打撃を与えるのである。まともに数発喰らえば、脛の骨位なら骨折に至る程の凄まじい威力がある。
そして暴打の末に水中に転倒でもしようものなら更に事態は悲惨な事になる。コブハクチョウは水中に転んだ人間の上に伸し掛かり、相手を溺れさせようとその顔面を執拗な迄に押さえつける。実際にコブハクチョウに水中に顔を押さえつけられ、溺死したり、或いは心臓麻痺を起こして亡くなった人間の例が報告されている。
現代の欧州各地では、コブハクチョウの出現が確認されるとその地域ではウォータースポーツの練習が一切禁じられる。言うまでもなくコブハクチョウを徒に刺激しない為である。またイギリス辺りでは【5歳以下の幼児はコブハクチョウに近づけてはならない】と言うルールも存在する。幼児は特にコブハクチョウに襲われたら抵抗出来ない為に命の危険が増大するからである。

因みに日本のコブハクチョウについては、ヒトが襲われる以外にも直接的な被害が最近問題視されている。増え過ぎたコブハクチョウが他の地域に広がって元々居なかった地域に定着し、そこで畑を荒らすようになったのだ。
我が在所の近くでは、手賀沼周辺でコブハクチョウによる農作物被害が深刻化しており、更に土着の水鳥の繁殖を妨げている事も指摘されている。
捕獲するなり何なり手を打たなければ、手賀沼から更に別の地域にコブハクチョウが流入し同様の被害をもたらす事になるだろう。

ヒトと対峙して互角以上の闘い振りを見せ、時には相手を死に至らしめると言う意味では、コブハクチョウは紛う事無く【猛禽】と呼べる存在である。
近所に公園があって、そこにコブハクチョウが放たれていると言う環境にお住まいの方は、くれぐれも気楽にコブハクチョウに近づいたりしないで欲しい。見かけの優雅さに気を取られると、思わぬ反撃を喰らう事になりかねない。

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