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儚く散った想い

自身がアセクシュアルだと自覚するようになって、そろそろ6〜7年は経過している。こんなワタクシが、嘗て一度だけ異性に対して告白を試みようとし、然し果たせなかった苦い過去がある。
自分がアセクシュアルだと知らない…いや何ならアセクシュアルと言う概念すら一般的じゃない、高校卒業間際の事だった。もう30年も前の昔の話だ。

ワタクシより2学年下の学生に、珍しくもワタクシとウマが合う女子が居た。
眼鏡が似合う華奢でおとなしい少女だった。
語らえば笑い、悲しい時は臆面もなく涙を流す、とても感情の豊かな少女だった。
学校帰り、友人数人と田舎の何も無い道を自転車で疾走する時、彼女はいつもその少年少女の群れの中に居た。
読書が好きな少女だった。

いつか、ワタクシはそんな彼女に友情以上の感情…それを愛情と断ずるには些か心許ないのだが…を抱くようになった。
彼女には、クラスメイトの女子達とは決定的に違うものがあった。それは「ワタクシをひとりの人間として、その尊厳を重んじてくれたか」と言う事である。クラスメイトの女子達は、ワタクシの事をヒトの皮を被った化け物位には思っていたに違いない。だが、彼女は決してワタクシをそんな風には扱わなかった。

月日は流れ、いよいよワタクシが高校を卒業しようとするその当日。
ワタクシは、玉砕覚悟で彼女に思いの丈を告白しようと心に決めた。
…何故に「玉砕覚悟」なのかと言うと、ワタクシは高校を卒業すると同時に生まれ故郷の北海道を離れて、静岡県に居を移す事が決まっていたからだ。
叶わぬ思いでも構わない、彼女に「好きだった」と伝えられたなら、それだけでワタクシは満足だった。
例え彼女にその告白を受け入れられなくても。

長い長い卒業式が終わり、卒業生・在校生の別を問わず生徒達が次々と校舎を後にする。
ワタクシはその少年少女の群れに、必死に彼女の面影を追い求めた。そして、彼女が数人のクラスメイト達と共に校門を潜る姿がちらとワタクシの視界に見えた。

追いかけようとした、まさにその瞬間。
誰かに襟首を思い切り掴まれた。

振り向くとそこには、眉間に深く皺を寄せた我が母が立っていた。
「何処へ行くつもりなの!」
開口一番母は怒りを顕にした。

「アンタは散々学校の先生に迷惑を掛けたんだから、改めて先生方に挨拶しなきゃダメじゃないの!こっちに来なさい!グズグズしなさんな!」

母は有無を言わさずワタクシを引っ立てると、さっきまでワタクシが居た校舎の中に再び入っていった。ワタクシが振り向いた時、既に彼女の姿は消えていた。

それから、多分一時間くらい母に校内を引き摺り回されただろうか。
母は学校に居たほぼ全ての教師の前にワタクシを引き連れて立ち、逐一挨拶をして回った。
それが終わって再び校舎から出た時には、外には殆ど人影は絶えていた。
残雪と防風林と、雪解け水に濡れた黒いアスファルトだけががらんとある校舎前。
あれ以上に空虚な空間を、ワタクシは未だに見た事がない。

それっきり、彼女とは二度と会う事は無かった。
気立ての良い娘であったから、今頃は良き淑女になって、良き伴侶に恵まれて幸せに暮らして居るのだろう。

…その一方で、ワタクシの心にはかすかな疵跡が残された。

後にも先にも、自らの意思で異性に告白を試みようとしたのはあの瞬間だけだった。以後、ワタクシは少なくとも自ら異性に告白を試みようとした事は無い。
例え好機があったとしても。

あの日ワタクシの心についた疵は、アセクシュアルを自覚し、色恋沙汰から距離を置くようになった今でも、時折疼いて癒えないまま残っている。

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