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森の護り神

(ヘッダー画像及び挿入写真はいずれもウィキメディア・コモンズより借用)

ヒクイドリと言う鳥は、知れば知る程に面白い鳥である。

頭に抱いた骨質のトサカ、鋭い目つき、極彩色の肉垂、ゴワゴワした毛髪状の羽毛。そして足には長さ10センチ以上の鋭い爪。
異国情緒溢れる外見からヒクイドリをペットにする好事家も多いが、その飼い主が突然、逆上したヒクイドリに蹴り飛ばされて負傷した…なんて話は良く聞くところだ。
いやそればかりか、棲息地であるオーストラリアやニューギニアでは丸腰の人がヒクイドリと出くわして蹴り飛ばされ、当たりどころが悪くて死んでしまった事故も複数報告されている。何しろ10センチ以上の鋭い爪がついた足でムエタイの選手さながらの蹴りをくれるのだ。下手をすれば内臓破裂か、もっと酷いと腹を掻っ捌かれてしまう。その気性の荒さから、ヒクイドリはギネスブックに【世界一危険な鳥】として登録されている。

一方でニューギニアの先住民達は、しばしばヒクイドリの雛を捕らえて飼育し、屠殺して様々な用途に用いた。肉は食糧に、骨は道具の材料に、羽毛は貨幣の代わりとして用いられたと言う。近年、ニューギニアのヒクイドリ飼育は鶏の家禽化よりも更に時代が遡り、人間が利用する為に飼育した最初の鳥は鶏ではなくヒクイドリでは無いかと言う説も提唱されている。


ヒクイドリの全体像。逞しい脚と鋭い爪に注目

ヒクイドリはまた、一羽のメスが複数のオスとつがいになり、生んだ卵はオスが面倒を見ると言う【一妻多夫】の繁殖形式を取る事でも知られる。これはヒクイドリに近い仲間のエミューにも同様の形質がある(エミューの繁殖形式はもっと乱婚的なのだが)。そんな繁殖形式をとる為なのか、ヒクイドリは体もオスよりメスの方が、やや大きくがっしりしている。

ワタクシがヒクイドリの実物を見たのは、確か20代前半の頃、静岡県浜松市のデパートに来た移動動物園での事だったかと記憶している。
今では動物愛護の観点から、移動動物園そのものの開催が極めて稀になってしまったが、ワタクシが若かった当時は各地で割とカジュアルに開催されていたと思う。
ヒクイドリは会場でも一番大きなケージに足を折り曲げて座り込み、なかなか立ち上がろうとはしなかった。大勢の客に怯えていたのか、はたまた管理が悪くて弱っていたのか。今となっては判らない。

力強く歩くヒクイドリの雄姿は、埼玉県にある東武動物公園で見る事が出来た。この時の出会いが切っ掛けで、ワタクシはヒクイドリが改めて好きになった。幼い頃に読んだ鳥類図鑑に掲載されていたヒクイドリのイラストには何故か殆ど心を惹かれなかったが、本物のヒクイドリを見てはたと気がついたー「あれはヒクイドリの姿を正確に写していなかったからだったのだ」と。

話は突然変わるが、竹原春泉斎挿画による妖怪随筆集「桃山人夜話」に【波山】(ばさん)と言う名前の鶏に似た姿の妖怪が登場する。
【婆裟婆裟】(ばさばさ)或いは【犬鳳凰】(いぬほうおう)とも呼ばれ、一説には四国の口伝に登場する妖怪だとされる。普段は竹藪の奥に潜み、嘴からは陰火(いんか。狐火など、ものを燃やさない火)を吐く。滅多な事では人前に姿を見せない…と言うが、地元では「婆裟婆裟が来るぞ」と言えば泣く子も黙る程には子供達に恐れられていたようだ。但し、波山が人に危害を加えたと言う伝承は寡聞にして確認出来ていない。

近年になり、妖怪研究家の一部界隈では「波山のヴィジュアル的なモデルはヒクイドリであろう」と言う見解があちこちで散見されるようになった。
一見突飛な意見のようにも思えるが、言われてみればヒクイドリのあの奇妙な姿は、見ようによっては巨大な鶏に見立てられなくも無い。

実は江戸時代の日本には、オランダ経由でヒクイドリの生きた個体が幾度か輸入されていた記録が残されている。ヒクイドリ(食火鶏)と言う和名もこの頃誕生したもので、喉にぶら下がった鮮やかな赤い肉垂が火を食べたように見えるから、と言うのが由来らしい(諸説あり)。

ヒクイドリが初めてもたらされた際の日本人の驚きが妖怪伝承に結びつき、それまで口伝のみで姿を持たなかった存在だった波山に「カタチ」を与えたと考えても然程暴論では無いだろう。

そんなヒクイドリは、棲息地であるオーストラリアやニューギニアでは、森林の再生に深い関わりを持つ生き物として重要な役割を果たす。
ヒクイドリは果実が大好物で、リンゴやマンゴー程度の大きさの果実なら丸呑み出来てしまう程に大きく開く嘴で、様々な種類の果実を種子ごと丸呑みにする。
そして、実を成した親木から遠く離れた場所に種子を糞と共に排泄して、彼等の芽吹きを意図せぬ内に手助けしているのだ(つまり親木から離れた場所に芽吹く為の肥料と共に種子を運んでいる、と言う事になる)。
彼等によって排泄された種子は、果実のまま落ちて芽吹いた種よりずっと発育がいいと言う報告もある。故にヒクイドリが住み着いた森林は、非常に緑の豊かな場所である事が多い。

そんな話を聞くと、ヒクイドリが【森の護り神】たる崇高な霊鳥に見えてくるのはワタクシだけだろうか。そのヒクイドリも、近頃は開発や過去の狩猟の影響で数を減らしていると言う。何とかこの【森の護り神】を未来に残したいものである。

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