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佐渡日帰りさんぽ第2話、新潟で一番大きい湖を探索してみた【加茂湖】

前回、佐渡汽船を利用して新潟市から佐渡島へ上陸しました。詳しくは⇓の記事をお読みください。

今回、両津港に上陸して新潟県最大の湖まで散歩したときの話をします。

実は、新潟県最大の湖は佐渡島にあります。集落が壁の役割を果たし、フェリーからは眺めることはできませんでした。しかし、両津港を降り立って5分ほど歩くと湖が見えます。

両津港の発展

佐渡島最大の港が両津港です。両津港のある両津地区は、佐渡島の玄関口として栄えています。2004年2月28日まで、両津市と呼ばれ、佐渡島の中心でした。しかし、2004年3月1日、佐渡島内10市町村が合併し、佐渡市が誕生しました。佐渡市は島の中央部にある金井地区に市役所があり、大型店の集まる西の佐和田地区に中心が移りつつあります。

両津港の歴史

江戸時代末期の開国により、新潟港が海外とつながりました。両津港は緊急避難先など新潟港を補助するために誕生しました。

当時は南西部の小木港が佐渡島の玄関口の役割を果たしていました。現在も上越市の直江津港と結ぶ航路が1日2往復運航されています。しかし、小木港は外海にあり、風や高波の影響を受けやすく、船の運航に影響する日もあります。

一方、両津港は入江にあり、北側の大佐渡山地が壁となって冬の季節風から守られ、波もおだやかです。天候の不安定な冬でも丸一日、欠航することはめったになく、安定した運航ができています。

加茂湖

両津フェリーターミナルビルを出て、通りを越えて西へ5分ほど歩くと加茂湖にたどりつきます。

加茂湖は新潟県で一番大きな湖です。面積は4.95km²、平均水深5.7m、最深9.0m。淡水と海水が混ざった汽水湖です。湖は海水にかなり近い塩分濃度のため、海水魚が主に生息しています。

成り立ち

佐渡島は、海底が持ち上げられることにより、北側に「大佐渡」、南側に「小佐渡」という2つの島から誕生しました。2つの島から出た土砂が海流や波によって運ばれ、西と東の端に、それぞれ砂州ができまそれぞれ大佐渡と小佐渡をつなげ、一つの島になりました。そのときに、西側は真野湖、東側は加茂湖という湖が誕生しました。

その後、海面低下により、湖から低地に変わりました。低地になった土地が、佐渡の中心部に広がっている国中平野です。しかし、加茂湖は元々台地を削ってできた深い谷でした。そのため、完全に埋まらず加茂湖は残りました。その後、加茂湖と海を分ける砂州が1800年前、砂完全に閉じて淡水湖になりました。加茂湖を塞いだ砂州の幅は200m、距離は2kmほどに発達していました。砂州の上に16世紀頃から集落が誕生しました。

江戸時代に入り、大雨や高潮により、洪水が発生し、集落、田畑をたびたび浸水させました。さらに、両津湾の漁船の停泊地も求めていました。洪水対策と停泊地の建設のため、1902年に両津湾と加茂湖を分けていた砂州を掘削しました。その結果、海とつながって海水が湖に入りこみ、汽水湖になりました。掘削した場所は、現在、両津大橋から眺めることができます。短い川のように、湖と海が繋がっていました。

両津大橋から見た加茂湖
両津大橋にある佐渡の四季を表した銅像

街並み

フェリーで両津に到着するときに一直線状に見えた集落。これは、16世紀後半に誕生した加茂湖東側の砂州上の2つの集落です。砂州の北側はエビス集落、南側はミナト集落と呼ばれています。江戸時代、この2つの港町が合併したため、両津という地名が誕生しました。広辞苑によると、「津」は「舟着き場、港」という意味があります。

両津港に住む農家は農業と養殖業と兼業することが多いです。家も独特の特徴が見られました。加茂湖から両津湾に向かって奥行きのある家の形でした。Googleマップで見ても、独特の家の区画がわかります。さらに、両津湾側に玄関、駐車場があり、湖側には船着き場がありました。倉庫も置かれています。

生態系

1902年、湖と海がつながり、水質が淡水から海水に近い濃度に変化しました。加茂湖の生態系も、コイ、フナなどの淡水魚から、アサリ、クルマエビ、天然の牡蠣など海で見られる生物に変化しました。

名物

加茂湖の名物といえば、牡蠣。12~2月、旬を迎えます。加茂湖では、イカダ式による養殖がさかんに行われています。

佐渡島の牡蠣養殖は1924年、地蒔き式ジマキシキによって始まりました。地蒔き式とは、稚貝を浅い海に撒いて、エサを与えながらのびのびと育てる方法です。

しかし、地蒔き式では生産性が乏しいため、広島県など全国各地で見られるイカダ式に変わりました。イカダ式とは、卵からかえったカキの幼生をホタテの貝殻にくっつけて、水中に吊るして育てる方法です。水中のプランクトンを食べて育てます。通常、出荷まで2年程度かかります。しかし、加茂湖は栄養豊富なプランクトンが多く生息するため、たった1年で出荷できます。

イカダ式を活用することにより、1960年代には、年間600トンもの牡蠣のむき身が出荷されていました。しかし、周囲から流入する砂泥やカキの排泄物により、湖底にヘドロが堆積しました。ヘドロから硫化水素が発生し、カキが死ぬようになりました。その結果、養殖カキの生産量が110〜160トンまで減少しました。硫化水素の発生を抑えるため、新鮮な海水、淡水を循環させるシステム作ったり、浄化作用のある牡蠣の殻を粉末にして湖底に散布しました。

現在、加茂湖には400ものイカダが浮かんでいます。新潟県内で最もカキの養殖が盛んです。

加茂湖に浮かぶカキ養殖用のイカダ

今回は、加茂湖を散策しました。広大な湖を眺めつつ、独特の住宅、牡蠣養殖のためのイカダの浮かぶ風景が観られました。冬に行って加茂湖のカキを食べたいものです。

参考文献

https://www.city.sado.niigata.jp/uploaded/attachment/17353.pdf

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