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【あの日から13年】常磐線を乗り継いで福島県双葉町、浪江町に行ってきた。


結論

  • 双葉駅周辺は、新しい街を建設中。

  • 浪江駅周辺は日用品を買うことができ、商店街、観光が徐々に復旧しつつある。


東日本大震災から13年

東日本大震災の発生から13年が経過しました。東日本大震災では、東北地方、関東甲信越地方の広範囲で震度5以上の揺れ、発生から数十分後には、東北地方関東地方の太平洋側を中心に、巨大津波が到達し、街は一変しました。

2023年は、復興に向かっている宮城県について書きました。

2024年は福島県の浜通りにある双葉町、浪江町へ行き、現状を目にしたことを書きます。双葉町、浪江町は福島第一原発から20km圏内にあります。原発事故により、両町全域が避難指示を受けました。浪江町では2017年、双葉町では2022年、駅周辺など一部地域で人々が住むことができるようになりました。

双葉町

いわき駅から普通電車原ノ町行に乗って1時間で到着します。途中、Jヴィレッジなど眺めることができます。

次の原ノ町駅行きの普通電車が到着するまでの50分間で双葉駅周辺を散策しました。新しい街を創っている最中でした。

双葉町は海沿いの富岡町との境目に福島第一原発があります。かつて双葉駅東口から近い常磐銀行双葉支店付近にあった「原子力で明るい未来のエネルギー」という看板は取り除かれました。現在は双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館にレプリカが展示されています。看板に書かれているように、福島第一原発事故発生までは、原発は万全の対策をしているため、自然災害が発生しても、安全と信じられていました。さらに、国からの交付金や原発関連企業が進出しており、町は原発によって支えられていた歴史はあります。

2020年、常磐線開通したことにより、双葉駅周辺の整備が始まりました。2022年8月30日、双葉駅周辺が避難指示が解除され、11年ぶりに人々が住むことができるようになりました。駅周辺では、倒壊の恐れがあったことや除染のため、多くの建物は壊されて、野原が広がっていました。

双葉駅東口から海に近い場所に建築業関連の会社が拠点を構えていました。会社周辺の地域を復興のための拠点にして、コンビニ、ホテル、飲食店も建設会社周辺に建てられていました。福島県の震災による被災状況を伝えるために、伝承館もあります。

人々が戻ってから、1年半が経ち、徐々に復興が進みつつあります。双葉駅東口では、無料で自転車を利用できます。しかし、天候不良により、今回は歩いて双葉駅周辺を回りました。

双葉駅

現在の双葉駅は、2020年、常磐線が復旧したときに再建されました。南となりに震災前の双葉駅舎が観光案内所として残されています。時計は、あの日から止まったままでした。

双葉駅西口

西口では、「双葉町えきにし住宅」というプロジェクトが進められており、86世帯分の新しい住宅街を作っていました。住宅は3DK、1DKの2種類あり、家族、単身世帯など目的に応じて対応しています。住宅地には、人々の集まることのできる集会所も2ヶ所造られています。カフェ、レストランもありました。広々としており、屋外広場では、不定期でイベントも行われています。入居者も徐々に増えています。

詳しくは、こちらをご覧ください。

双葉駅東口

駅の近くでは、道路、電気などインフラは復旧しつつも、東口は、時が止まったままの印象を受けました。除染するため、取り壊された建物が多くあります。残された建物の壁には、巨大なキャンバスにしてアートが描かれていました。復興に向けて前を向く人々の姿が描かれていました。

当時のまま残された建物を見ると、屋根の瓦が崩れていたり、壁にヒビが入ったままの建物が揺れの激しさを物語っていました。まだまだ空き地が多く、草の生えた状態でした。

双葉厚生病院も13年間止まったまま

浪江町

浪江町は双葉町の北隣にあり、東西に広い町です。日本テレビ系で日曜日19時から放送されている「鉄腕ダッシュ」の企画で誕生したダッシュ村があります。

浪江町は、東は太平洋に面した漁業の街、西は阿武隈高地に囲まれて農業が発展していました。震災前は、請戸漁港を中心にしらすなど盛んでした。

浪江駅は双葉駅から一駅です。5分で行くことができます。浪江駅周辺は2017年3月31日、海沿いの地域を中心に、人々が再び住めるようになりました。一方、西側の山あいの地域では、一部しか解除されていません。

浪江駅前は飲食店もできており、ジンギスカンなど飲食店も並んでいました。

浪江駅から徒歩20分ほどに、浪江町役場があり、町役場を拠点に、町の復興が進んでいるように感じました。浪江町役場の近くにあった看板には、震災前の町の様子を知ることができます。

道の駅なみえ

浪江のご当地グルメと言えば、浪江焼きそば。麺が太く柔らかく、豚肉ともやしだけというシンプルな具材で濃厚なソースと絡みます。労働者のために、安く腹持ちの良いものとして60年前から作られました。お土産用の麺は冷蔵用と常温で保存できるタイプの2種類あります。

道の駅には浜通りを中心に福島県の特産品を扱っているお土産屋さん、無印良品、パン屋、酒屋もありました。公園も整備されており、ピンク色のポケモンが生息していました。

イオン浪江店には食料、薬、日用品、衣服が揃い、浪江町役場そばにある商店街には、コインランドリー、飲食店が並んでいました。

浪江焼きそば800円
ラッキー、プリン、ベロリンガが生息するピンクに染まったラッキー公園

徐々に復興つつある双葉町、浪江町の様子についてお話しました。双葉ダルマなど、震災前から続いていた伝統も復活に向けて動いています。

しかし、復興への道のりは遠く、2024年3月時点で、双葉町は15%、浪江町は25%の地域しか住むことが許されてません。双葉町は約100人、浪江町は約1400人で、震災前の1割にも満たない状況です。

参考文献

双葉町、浪江町を訪れる前に、いわき市へ


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