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「詩をつくる教室 言葉のレッスン」を受講しました。

文月悠光さんが講師をされる、詩の講座を受講しました。
今年は、とにかく詩の勉強をするので、可能な限りチャレンジをする。
参加したのは、下記リンクの新宿での講座。今日が初日。

想像以上に参加される方がいて、そしてその動機が本当に様々で、そういうことを知ることができて、とてもよかったと思う。自己紹介を聞くだけで、詩の持つ魅力をうかがうことができたから。

そして、講義はすこぶる楽しい! やっぱり、わたし、学びたいのだと思った。勉強がとても好きだったのに(おそらく、ある程度は病気のせいで)できなくなってしまった。まだ回復の途上にあるけれど、それを踏まえた上での学びは、「できることから少しずつ」。

「詩と親しくなろう」からはじまる講義は、泳ぎ方を覚えるような、そんな感覚。わたしにとって「詩」は呑み込まれるものであったので、まずは溺れぬようにすることが大事なのだと思った。
具体的な詩の教材があり、それは水掻きのような役割になる。詩の海に浮かび、進む。それができることがとても楽しい。

1時間30分は、またたくまに過ぎてしまう。わたしの目は、頭のうしろ側は、ぐんと開いている。「詩」の「感じ」が少し掴めたようにも思う。ハイコンテクストな言葉のやりとりが、たとえそれが自分でも曖昧なままだったり、意図通りに通じていないのだとしても、嬉しくなってしまう。

「写真から言葉を紡ぐ」と題してのレッスンがある。こういう時、わたしはその写真に物語を読み、入り込んでしまう。そこにいるわたしは(或いは彼は、彼女は、影は)どのように振る舞うのかを想像する。連想する。その前に言葉の羅列が溢れ出してくる。
ああ、これなら、いろんな物語が描けるじゃないか。写真だって、自分で撮ることができるのだから、いろんな場所で、被写界深度を深くして(時々、浅くして)撮りためてゆけばいい。
いろんな事柄が繋がりそうだ。

詩の勉強は、まだはじまったばかり。講座はあと2回続くし、宿題もある。宿題、本当に好きなんだよね。昔は間違えることに脅えていたけれど、今は間違ってもいいや、と思っている。正解のない詩なら、なおさら。
それで、いつか、とびきりの詩を書きたいと思う。今だって、ひとつひとつ書き上げているものは、いい感じじゃないの? と思ってはいるけれど。ただ、もう少し、納得のいくフォームを作り上げて、重いボールを投げ込みたい。

ああ、でも、本当にとても楽しかった。どうしても叶わなかったことだから、この時の巡り合わせを、導きと信じて学ぶ。
文月さん、どうぞよろしくお願いします。わたしは、詩に触れ、その形を知ろうと思う。眠りの中でも追いかけたいと願う。

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