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生き方の一部分を切り取って見たときに「BLW」という名になるだけ

オンライン含め280名以上の方々にご参加いただいたBLWフェス!
来てくださった方、見てくださった方、本当にありがとうございました。後から思い返してあれで良かったのか?という疑問も反省点も尽きませんが、今のわたしに出来ることを精一杯やらせていただいたのでびっくりするくらい悔いがないです。何者でもないわたしに大舞台を用意してくださった主催運営の方々に心から感謝しています。今日は見逃し配信も終わって一区切りということで、わたしが「手づかみ食べ」に至るまでの経緯と、BLWについて今思っていることを書こうと思います。

フェスの中でもお話ししましたが、うちの医院では全身から咬合を整える治療をしています。時間の都合上、「姿勢を整えた上で噛み合わせを整える」と説明させていただいたのですが、姿勢は自律神経を整えた結果ついてくるもので、決して良い姿勢や歪みのない身体を目指している訳ではないことを補足させていただきます。個人が目指す分には好きにしたら良いと思うのですが、良い姿勢や歪みのない身体を押し付けるのはわたしが理想とする医療の形ではないので。

この自律神経を整えるためにできるアプローチ法が色々とあるのですが、その中でも一番手っ取り早い「食」に興味を持ち、勉強してきました。子どもが生まれてからはその興味が離乳食に向かい、粥の不味さ・めんどくささと相まって「なんでこんなまずいものを食べたいとも思ってなさそうな人に無理やり食べさせないといけないのか」という怒り(?)から、様々な本や文献を読みまくり、途中で持ち前の最上志向を発揮し保育士の資格を取ったりして、歯科・保育・発達・栄養・姿勢・社会問題などを総合してまとめたものが、2020年12月にnoteに投稿した「歯医者が離乳食について本気出して考えてみた」であり、これを対人的に世に出せるような形で深めたものが、WHITE CROSS様に取材もしていただいた2022年11月の「小児の発達発育から考える離乳食セミナー」でした。

もちろんこの道中、BLWのことも勉強したんですが、アウトプットするにあたってBLWのお話をしよう!とは思ってなかったんです。何か一つの方法に答えがあるわけではないと思っていたこと、離乳食初期における子どもへの介助の幅が狭い印象があったこと、味覚の窓へのアプローチを無視できなかったことなどがその理由です。なので登壇のお話を頂いたときは「協会にも属していないし、BLWが良いと言ってるわけじゃないのに、お話させてもらって良いのか?」と少し不安でした。でもフェスの中では誰もそんなことにこだわっていなかった。あの場の登壇者全員の目指すゴールが「子どもの幸せ」という点で共通していたので、それに対するアプローチの仕方も自ずと限られてきて、その結果BLWとわたしの思う理想の手づかみ食べがほぼ一致した、というのが個人的な見解です。
これもう一度書いておくのですが、「BLWいいよね!」って普段から言い合ってる仲間で集まったんじゃないんです。なんならわたしは全員と初対面だったし、打ち合わせもほぼしてないんです。他の方がどんな話をするのか詳しいことは知らず、一度全員でスライドをパラパラと見せあって、ガッツリかぶる話がないか確認したのみです(話がかぶってると時間がもったいないから)。それであの一体感が出たのは本当にすごかった。同じことを勉強していたら、登る道は違っても同じ場所にたどり着くんだなぁと思いました。

ひとの数だけBLWはある、と言っても良いのだと思います。ひとにはひとのBLW。そのゴールが一致していれば、(もちろん誤嚥しやすいものはあげないなどのルールは守った上で、)「これをしないとBLWじゃない」とか「この通りにしなかったらダメ」とか、そういう懐の狭いものではない。あなたのBLWを尊重し、わたしのBLWが尊重される、そんな世界でした。

この「尊重」ってBLWにおける大切なキーワードになると思っていて、赤ちゃんの食べたいものを、赤ちゃんのペースを、赤ちゃんのやり方を尊重するものがBLWであり、それはつまり赤ちゃんの人権を尊重するもの、ということです。人権というと大げさに聞こえるかもしれないのですが、この切り口からBLWを見てみたいのでこのまま続けます。世界人権宣言には「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と書いてあります。赤ちゃんにも食べたいものを選ぶ自由、食べるペースを自分で決める尊厳、食べ方の主導を握る権利がある。これを尊重することって、食べ(させ)方というより、もはや生き(させ)方の話なんですよね。赤ちゃんの人権を尊重して生きる中で、食という一場面にフォーカスして見たときに、その姿勢が「BLW」という名になる。だから、フェスに集った登壇者は全員「何を食べるか」ではなく「どう生きるか」をゴールに据えて語ったのだと思います。そして必然的に、赤ちゃんを尊重する親に寄り添い、親の選択を尊重している。BLWじゃなきゃダメなことはないです。従来法でもいい。でもね、もし、興味があるなら、目の前に座る小さいひとのことを知り、受け入れ、尊重して、ともに歩んでみませんか?わたし(たち)はそのきっかけになれたら良いなと思っている。なぜならBLWは相手を知り、受け入れ、尊重する手段のひとつであり、わたし(たち)が医療を通じて成し遂げたいのも同じことなのです。子どもを、その家族を、知り、受け入れ、尊重していきたい。そしてできればやっぱり、健康で幸せになってほしい。(たち)と書いたのは、初対面のひとときで他の登壇者とここまで深い話をしていないからですが、()を外したとしてもあの場に集った方々になにか言われることはないのだろうと思います。

ところで、人権はなんのために必要なのでしょう。いろんな角度から語れるものですが、ひとつには、自分の生き方を自分が責任を持って選ぶために必要だと言われます。言い換えれば、人権は人がそれぞれの資質や能力を生かして自分本来の生き方や成長を可能にする、つまり自己実現するために必要なのです。
フェスの中でもお話しましたが、赤ちゃんが自己実現をするための土壌のひとつになるもの、それが離乳食の場であるとわたしは確信しています。1日3度、毎日必ず存在する食という生理的欲求を満たす場での振る舞いは、より高次の認知活動をするときの土台になる。簡単に言えば、食が整っている状態だと、生活が、人生が整いやすい。惑ったときに戻ってくることのできる軸のひとつを食にすることが可能で、そういった意味でも、「食べる姿勢は生きる姿勢」なのだろうと思っています。

今回のテーマは自分でも未知のものでしたが、練るにつれて見えてきたものが多く、知識だけではなく自分自身の在り方を見直すきっかけにもなりました。論理の飛躍や粗さは情熱でカバーした部分が大きいのですが、そのあたりは今後に期待していただくとして、人権の尊重の過渡期にいる我々がBLWに興味を持ち、体現し推進していくのは必然であるように思われます。その主体は歯科であるべきですが、歯科だけである必要はないのかなとも思います。フェスを通じて、歯科に限らず様々な支援をしているたくさんの仲間が見つかって本当に嬉しかった。わたしにできることは、今後とも歯科をベースに様々な視点から健康について考えていただけるような発信をしていくこと。ともに幸せに生きるために、歯科にできることの可能性を広げ、ホリスティックな視点での自己理解の手段を提示すること。仲間がいれば提示できる選択肢の幅はもっと広がるだろうと思っています。そして数多の生き方の中から良いと思うものを選ぶのはわたしではなく、これを読んでくださった画面の前のあなたであり、あなたの目の前にいる小さいひとです。選ぶも選ばないも自由で、そのすべての選択とそこに至るまでの経緯をわたしは尊重したい。その中のどこかで、今回のフェスのように、一緒に笑い合えることがあったなら嬉しいなと思っています。
このたびは本当にありがとうございました!

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