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あなたの放った異彩が、いつか誰かのこころを彩ることができたなら。

次女のお宮参りをしました。
直前まで雨が降っていたのですが、神社の鳥居をくぐったあたりから晴れ間がのぞき、祝福されたような木漏れ日の中を歩いて氏神さまの元にたどり着きました。
久しぶりに嗅ぐ懐かしい雨のにおい。ふりそそぐ陽のひかり。産後一ヶ月をほとんど寝て過ごしたために、歩き方を忘れかけて砂利に絡め取られそうになりながらも、雲が破れたその隙で、赤ちゃんを神さまに紹介したのでした。

今日のためにおろしたのは、ヘラルボニーのスカーフ。工藤みどりさんの「(無題)(青)」は、青ベースの点の中に少しだけピンクや黄色が散りばめられている、わたしの好きな作品です。

青を雨だとするならば、まるで今日の天気のよう


ヘラルボニーは、「異彩を、放て。」をミッションに掲げる、福祉実験カンパニーです。福祉施設に在籍する知的障害のある作家のアート作品を様々な形で世に送り出し、福祉を起点に新たな文化を作ろうとしています。このミッションにこころを打たれ、わたしはヘラルボニーのファンになりました。そして初めて買ったスカーフを、この日に身に着けてきたのです。

「あなたも、あなたなりの、あなただけの異彩を放てますように」と、響き渡る祝詞の中で祈りました。それは同時に、己への自戒でもあります。
異彩とは、個性。障害を持っていても、持っていなくても、誰しもに存在するもの。そのひとがそのひとであり続けるためのもの。あって当たり前のものですが、異彩が放たれるためにはまず、周りがその個性を認めていく必要があると感じています。

子どもの個性を認め、尊重すること。その個性の発出に親が介入するかしないかはどうであれ、子どもの「いま在るがまま」を受け止め続けていくこと。そのためにはできる/できないとは別の軸で、子どもを見ていかなければなりません。未熟なわたしは、這えば立て立てや歩けといつの間にか多くを求めてしまいますが、求めた先に異彩があるのではなく、ただ在るがまま、異彩はそこに存在するように思うのです。

既存のものに当てはめることなく、当てはまらないことを気にすることなく、違いを認めていける自分でありたい。そして願わくばわたしをも含めたこの社会が、安心して異彩を放てる場所であってほしい。自戒を祈りの形で再確認することが、お参りの原点なのかもしれません。


そうしてあなたの放った異彩が、いつか誰かのこころを彩ったり、あたためられたりしたならば。それはこの分断された世界の中の、一縷の希望となることでしょう。まるで、雨が過ぎ雲が破れたところに注ぐひかりのような。やわらかく淡いけれど、確かに誰かに届くひかり。

そのひかりを受け取った先で、無力なわたしは、けれどあきらめないでいたい。目の前ですやすや眠るあなたが、いつだってあなたのままでいられるよう尊び続けることを。安心なあなたと、あなたがこれから出会うであろう様々なボーダーをひとつずつ超えて、色とりどりの世界を塗りつぶすことなく愛していくことを。

異彩を、放て。


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