音楽に愛されなかったと思っていた話

妹はインド映画が好きだ。10本くらいオススメしてもらって、5本くらい見た。わたしは感覚過敏な節があるのでテレビや映画が苦手で文字を読んでるほうが好きなのだけれど、オススメしてもらったインド映画はどれも面白く、自分の結婚式にバーフバリのサントラを流すくらいにはハマってしまった。

先日見たのはバジュランギおじさんと小さな迷子。

「インド人がインドで迷子になったパキスタン人の子どもをパキスタンに返すために奮闘する話」と妹に聞いて、「なにが大変なんだろう?」と思ったけれど、見てみるとインドとパキスタンは仲が悪い上に、相容れない宗教なのだと知り、そりゃ奮闘だわ…と思った。ストーリー自体は簡単だけど、見せ方がうまいし顔の濃い美男美女ばかり出るから目が幸せだった。

インド映画の良いところはやっぱり劇中に急にダンスが入り、みんなで踊るところである。多民族、多宗教、多言語のインドで映画が成立するには、それらすべてを超越する【歌と踊り】でストーリーを説明していく必要があるらしい。歌と踊りは言語を超えていく力がある、それは真理だと思う。

バジュランギ〜は最初の「セルフィーを撮ろう」という曲が好きだった。バーフバリの主題歌に似ていた。踊りたくなる感じの曲だ。音楽を構成する何かが一緒なんだろうなと思って検索してみたけど、ラーガとかターラとか音階とは別の何かの話が出てきてよくわからなかった。

昔ピアノをやっていたけれど、音楽のことはよくわからない。ピアノは楽譜が読めずに暗記だけで指を動かしていたし、絶対音感もないのでなにが楽しいのかわからないまま10年も習ってしまった。もっと早く学び方の間違いか、向いていないことに気づけば良かったと思う。旦那はピアノを習っていたころ、楽譜を見ただけである程度その曲が想像できたと言っていたから、それが正しい学び方であり理解の仕方なんだと思う。努力は方向性とベクトルが正しくないと功を奏さない。これはその顕著な例。小さいひとには同じ轍を踏ませることのないようにしたい。

急に沖縄の話になるけれど、沖縄民謡は「レ」と「ラ」を使わないそうだ。こないだEテレの子供向け番組でやってて初めて知った。それが沖縄民謡っぽさを醸し出すらしい。母にすごいことを知った風に言うと、「小学校の音楽の授業で習った」と言われた。おかしい。わたしは習ってない。やっぱりゆとり世代だからか?旋律に規則があるなんて考えたことなかったじゃんよ。

そこから「旋律の規則」を意識するようになって、インド映画音楽をインド映画音楽たらしめる特徴もあるのだろうと思って検索したりしてみたけれど、やっぱり基本的な知識がドレミファソラシドだけで止まっていて、大昔に暗記した曲の旋律は全部きれいに忘れているから、それ以上発展のしようがない。
わたしは音楽のことが好きだけれど、音楽に愛されなかったと思っていた。でも知識不足だったんだなあと、ピアノをやめて15年以上経ってから気づいた。一方的な理解のない愛を持って接しても愛してもらえるはずがないのだ。高慢だったと反省した。

音楽のことはわからないけれど、感じることはできる。感じることはすべて正しいと、ここ最近思えだした。インド映画には踊りたくなる、楽しい、気持ちの良い音楽がたくさんあるから良い。バーフバリも、アールイズウェルも、バジュランギも良かった。また少しずつ見ていきたい。

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