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「血統」への執念ー映画『君たちはどう生きるか』感想(ネタばれアリ)

宮崎駿監督の大空への憧れは、飛行機への憧れとなり、ついには鳥へのコンプレックスとなった。

つまり『君たちはどう生きるか』は、鳥人間コンテストを描いた映画『トリガール!」とは異なる意味での「鳥コン」映画だったといえる。

一方で本作品に「血」にまつわるエピソードが何度も出てくるのにある種の驚きがあった。

時代の流れというか、少なくとも映画で描かれる世界においては「血はつながっていなくても家族になりうる」という潮流があるが、『君たちは~』は、その真逆をいっているからだ。

たとえば、「声」が聞こえるのは「血を引く者だけ」であり、世界を創りあげた大叔父の跡を継げるのも「血を引く者」である必要がある。なぜなら、世界のバランスをとる才能は「血」によって受け継がれているからだ。

この大叔父に、鳥たちは若い娘を捧げる。
才能がある者は血統の確かな若い娘を手に入れることで、その血を後世につなげることができることを示唆しているようだ。

また、現実の世界では父が亡き妻の妹と再婚する。これは(かつてよくあったこととはいえ)これも血統(つまりは家系)を守るための行動であっただろう。

父親は大叔父とは血のつながりを持たないようであるが、強く、マッチョであり、敗北は許さない性格である。だから作品中で敗戦(終戦)の場面は描かれないし、ケンカに負けた主人公はその事実を隠すために自ら「血」を流すことになる。

なにより象徴的だったのは、とって付けたようなラストシーンだ。
あれはナツコの子供が男児であったことを示すためだけに挿入されたのではないだろうか。主人公は大叔父を拒絶したが「血」はたしかに子孫、しかも男系へと受け継がれていることを描きたかったのだとすれば、あの短いシーンの意味もわかる。

※ほかにもいろいろあるけど、エンドクレジットで「予告編」「予告編制作」(だったと思う)のスタッフが表記されていたのに泣いた。

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