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寒い夜にフラれた話と石橋

転職のとき受けた会社の最終面接で、会長からこんな質問をされた。

「これまでの人生で強く印象に残っていることを5つ、1分以内に挙げてください。……10秒経過」

いきなりカウントダウンが始まった。当時25歳。いわゆる圧迫面接のたぐいだ。だが僕は、まったく焦ることなくこれを乗り切った。それまでの人生で女の子にフラれた話を5つを挙げればよかったからだ。なんなら時間が余った。

あとで聞いた話によれば、会長が見ていたのは返答の早さ。だから、内容はなんでもよかったらしい。たくさんフラれておいてよかったなと、あとで少しだけ思った。

これまでの人生、いろんな人にフラれた。なかでも印象深いフラれ方のひとつが、高校3年のときに好きだったK子さんとの思い出だ。

K子さんは、男子の多くが憧れる美人だった。飾らない人で、自分の美貌を鼻にかけない感じといえばいいだろうか。なのに、誰にも手が届かない雰囲気があった。20年以上会っていないが、きっと今も変わっていないだろう。

僕もK子さんを好きになった。高校3年で同じクラスになって、少しずつ話すようになってから、その想いが強くなった。ただ、僕は東京のある大学に進むことを決意していた。だから、たとえ付き合うことができても、それ以降が大変だななどと考えてもいた。片想いをする者は、妄想だけを膨らませるものだ。だからフラれたときのショックが大きい。

受験がひと通り終わると、まだ合格通知が届いたわけでもないのに春から東京に行くことを確信した。「旅の恥はかき捨て」じゃないけれど、心残りは解消しておくべきだと考えた。K子さんに告白しようと決めた。2月からは学校が休みに入っていたので、フラれても同級生に笑われたり学校中で噂になったりする可能性がないという、負け戦なりの“勝算”もあった。

こういうとき、僕はほとんど誰にも相談しない。うまくいくかどうかもあまり考えない。バーっと突っ走ってしまう。

2月の寒いある日、僕はクラスの連絡網を頼りに、彼女の家に電話をかけた。携帯電話どころかポケベルでさえも高校生が持つのは珍しい時代。各家庭に設置された「家電」くらいしか通信手段はなかった。手のひらは汗でびっしょり。バクバクと胸が高鳴った。

よほど緊張していたのだろう。そのとき電話に出たのが彼女の母親だったのか、父親だったのか、お兄さんだったのか、まったく思い出せない。とにかく「彼女は今、予備校に行っている」という話だった。相手はどこの予備校かということまで教えてくれた。何も考えず、とりあえず近くまで行ってみることにした。

予備校は、最寄駅から5駅ほどいったところにあった。田舎なので駅と駅の間隔が広く、30分以上かかった。着いたのは19時すぎだったと思う。勢いで来てしまったものの、予備校まで押しかけたらさすがにストーカーっぽいと考え、駅で待つことにした。いま思えば自分の基準がよくわからない。

駅前の花壇に腰かけてボーッと彼女を待った。ひとりで来たことのない町なので、少々不安だった。地元のヤンキーにからまれたりしたらイヤだなと思いながら、寒さのあまり縮こまって待っていた。チラチラと雪が降り始めた。

背後から「おい!」と野太い男の声がした。別の高校に通う石橋だった。

石橋は身長180cm、体重100kgを超える大男だ。ケガの後遺症で片目の焦点が合っておらず、睨み付けられただけでチビりそうになる。僕は中学のとき柔道をやっていて、他校で柔道をやっていた石橋とは顔なじみだった。こちらは65kg以下級だが、彼は100kg超級。石橋は県大会の上位入賞者で腕っ節も強かった。

「うわー……。一番会いたくないヤツに会ったな」というのが正直なところだった。最もセンチメンタルになっているときに、最もガサツな男と出会ったからだ。「何をしとんのや?」と石橋はすぐ隣に腰かけた。他校の人間が、いわば自分の学校の「領土」に立ち入ったことが気にくわないのかも知れないと感じた。ここでヘタにごまかして、あとでバレると彼が滅茶苦茶にキレることは想像できたから、本当の本当にイヤだったけれど、正直に話すことにした。

石橋とK子さんは中学が同じだったので、彼もK子さんの可愛さを知っている。話している途中で大笑いされて、茶化されて、なんなら駅前にいる人たちに向かって「みなさーん! この男はこれから無謀な告白をしまーす!」と大声で叫びかねなかった。だけど、意外にも石橋はじっと話を聞いていた。話が長くなって、本降りになった雪はうっすら積もり始めていた。

「……ふーん」。石橋の反応はこのひと言だけだった。

笑われたりバカにされたりしたら、おとなしく帰ろうと考えていただけに、拍子抜けだった。石橋は立ち上がり、歩きだした。彼は近くにあった自動販売機で缶コーヒーを1本買うと、戻ってきて「これ、おごったるから頑張れよ」と僕にくれた。

そして「じゃあな」と帰っていった。

心のどこかで、石橋には僕のK子さんに対する恋心など理解できないだろうと思いこんでいた自分の浅はかさを恥じた。僕は彼からもらった缶コーヒーをちびりちびりと飲んで暖をとりながら、21時くらいまで駅前で彼女を待った。

数年後、石橋は亡くなった。身体の大きさに心臓が耐えられなかったと聞いた。だから、彼がなぜあのとき僕に優しくしてくれたのか、聞けないままになった。

牡丹雪が降る季節になると、今でも石橋からもらった缶コーヒーのことを思い出す。

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