【映画鑑賞記録】「おくりびと」滝田洋次郎

「羊と鋼の森」「舟を編む」など、馴染みのない職業をテーマにした作品に心惹かれることが多いということで、その手の代表作である本作品を鑑賞。

納棺師という仕事の「穢らわしさ」というのが頭では理解できなかった。妻が「穢らわしい」と小林の手を払うシーンなんかは「またまた過剰演出を」と頭のどこかで思ってしまった。まあ過剰演出は葬儀シーン一般に対して言えることだが。しかし実際に遺体を糧にする職業を目の前にすると、手を払うとまでは言わずとも、自分も本能的に避けてしまいそうになる気がしなくもない。自分も祖父が死んだ時も火葬場の職員には同情のような気持ちを抱いてしまっていた。その感覚に近いのだろう。おくりびとという名作が世に出てこの職業が世に知られた今だからこそあまり臆して納棺師という仕事を隠すこともないだろうが、本作登場以前の風当たりは相当なものだったことが窺える。

この穢れに関連して、銭湯の常連として火葬場職員が描かれるが、葬送を生業とする彼らもまた禊ぎに近い意味を求めて銭湯を使っているのだろう。その銭湯のおばちゃんが死んで以降、小林は汚れを背負い続けたまま生きていくことになるのだろうと思うと、なおのこと納棺師という職業が板についた感じがする。

もう一段深い見方をすると、遺体と小林及び社長、それ以外の人(特に妻)の立ち位置も面白い。基本的に納棺師が遺体の右手、それ以外の人が左手に位置し作業をするという構図を取る。化粧まではこの立ち位置は変わらず、いざ納棺となって遺族のうち2人ほどが小林と同じ側に立ち遺体を棺に収める。夫妻の構図は家の中でも同じで、小林の理解者となっているときの妻は机の同じ側に並んでいるが、そうでない時は机を挟んで反対側におり、机を超えてきた夫を退けようとする。そして銭湯のおばちゃんを納棺するのを最後に、父親の納棺では始終妻は小林の隣にいる。流石に撮影の流れで当然のようにこのような配置になったのだろうとは思うが、もし意図的にこれを撮影していたのなら天才的な力だと思う。

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