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大丈夫。大丈夫だからね。

仲の良い先輩と久し振りに会って聞いた話。

同級生の結婚式に参列したのだが一緒に出席する予定だった友人が一人来なかった。
一緒に行く約束もしていなかったので当日会場で会うだろうと思っていたが、いくら待っても来ない。連絡してみるも、電話にも出ないしLINEも既読にすらならない。心配はしつつも、そのうち来るだろうと待っていたが、式も終わり披露宴が始まるというときになっても、姿は見えない。
しかし、先輩はそれほど驚かなかったという。

その友人とは中高の同級生。やや複雑な家庭で育った彼女は、高校卒業後、家を出て大学入学と同時に一人暮らしを始めた。生活費や学費は自分で捻出していた。
大学卒業間近になり、計算ミスで卒業までの単位が僅かに足りないことが発覚。自力で学費を払い何とか4年間通ったが、最後の最後で絶望の淵に立たされとうとう卒業はできないまま社会に出た。
大学卒業の件が因果となったのかは定かではないが、正社員ではなくフリーターのような形で働きだした。現在は薄給の上激務の会社に勤めながら、都内で一人暮らしをしているという。
友人たちとの集まりには金銭面を理由に不参加のことも多く、所謂「少し扱いが難しい存在」になっていた。

そんな中、招待された結婚式。先輩は「来ないかもしれない」という一抹の不安を抱えていたため、当日彼女の欠席がほぼ確定になっても「やっぱり」と思った。

私はこの話を聞いている最中、涙が出そうになるくらい辛くて苦しかった。胸が締め付けられた。
彼女は、どんな思いで行かないことを選択したのだろう。
裕福な家庭に生まれ大手企業に勤めながら社内結婚までした友人と、恵まれない人生を送ってきた自分を比べてしまったのだろうか。
家計に余裕がなく、祝儀を用意できなかったのだろうか。
自分なんかが祝わなくとも、関係ないと思ったのだろうか。

投げやりな理由なら、それでいい。でも、きっと違うと思う。
悩んで悩んで、直前まで行くかどうか迷って、とうとう玄関のドアを開けられなかったのではないだろうか。
大切な友人を祝いたい気持ちと、祝う余裕のない気持ちがせめぎ合い、苦しかっただろう。
出席の葉書を出すところまでいけたのだから、あと一歩、踏み出すだけだったのだ。
それでも、その一歩がとうとう出なかった。

彼女には、成功体験が少なすぎるのかも知れない。失敗や挫折を繰り返して、自分が頑張って得たことや報われたことも、忘れてしまったのかも知れない。

私は、高校時代友人がいなく、修学旅行に行かないつもりでいた。母も、それでいいと言ってくれていたが、「つまらなかった、って思い出作ってくれば?それで早く帰ってきな、待ってるから」と言ってくれたことがきっかけで、結局私は修学旅行に行くことができた。そして、本当に母と姉と祖母が、空港で待っていてくれた。
そのときの気持ちはよく覚えていないけれど、今は行って良かったと思っている。「あのとき、自分は頑張って一歩踏み出した」という経験ができたから。

人間には、そういう「自分で自分を褒めてあげること」が絶対に必要だと思う。そして、その経験を積み重ねることが自信に繋がっていくのだと思う。
彼女は今回、成功体験をできるチャンスだった。私は高校生のとき、母親にそのチャンスを作ってもらったけれど、大人になったら自分で作っていかなければいけない。それを、逃してしまった。凄くもったいなかったと思う。「嫌だな」と思っても、「祝ってあげられる自分偉い」と思いながらでも出席すべきだったと思う。

今回のことで後悔しているかも知れないし、これからその後悔がどんどん増幅するかも知れない。私は彼女に何も出来ないけれど、言いたいことはある。

生きるのってきついよね。しんどいよね。
でもこんなこと、全然大したことじゃないから。大丈夫だから。あなたはこれまで十分頑張ってきたし今も頑張っている。頑張れないときがあってもいいんだよ。
自分で決めて、選んだことならそれでいいんだよ。
それが、今のあなたとっての正解だから。

彼女は今も連絡は取れないけれど、SNSは更新しているから、生存確認はできているそう。心底安心した。生きていて良かった。
私は先輩にお願いした。どうか彼女を待ってあげてと。今は出来ないかも知れないけれど、いつか雪解けができたそのときに受け入れてあげて欲しいと。彼女は友人を裏切る行為をしたかも知れない。だけど、それ以上に、彼女自身が苦しんでいたのだ。

私は最悪の仮定をしてしまう癖があるから、ここまで私が想像で書いたことが全て嘘だといいなと思う。でも、もしこの通りなら。これ以上なら。
全部大丈夫だからね、大丈夫じゃないことなんてないんだから、と強く抱きしめたい。

#コラム #エッセイ

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