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【在宅レシピ】消極的コーラという選択

誰かが中止を言うんだろうなあと思っていたら、その「誰か」が誰なのか全くわからないままずるずると突入していってる。東京五輪についてはあまり触れたくありませんが、正直そんな印象です。

コロナ禍が始まって在宅勤務が推奨され、私の移動は主に自動車になりました。コカ・コーラはドライブ中のお供として、なんてすばらしい飲み物なんだと思っていたのですが、聖火リレーのときのあのパレードを見て以来、コンビニでコーラを買うたびに、なんとも言えない恥ずかしさを覚えるようになってしまいました。

別に不買運動を呼びかけるとかそういう意識はないのですが、単純にコカ・コーラ買ってる姿を店員さんに見られたくないな……と思ってしまいます。あの「素晴らしい飲み物」は、いつしか「恥ずかしい飲み物」へ。日頃はブランド物なんかにゃ興味ねーぜと息巻いている私ですが、ブランドイメージに左右されてしまっている自分を発見した瞬間でもありました。

仕方がないので、最近は自分で作っています。私はこれを消極的選択肢としてのコーラ、略して消極的コーラと呼んでいるのですが、しかしこれがコクがあっておいしくて、いまやむしろコーラといえばこっちだろ、というぐらい積極的な気持ちになっています。

消極的コーラのつくりかた

幸い、世間ではクラフトコーラが流行っており、レシピを検索するとめちゃくちゃヒットします。どのスーパーでもスパイスを豊富に扱うようになったということもあるんでしょう。私も近所のセイユ―でエスビーのスパイスを買い、レモンと三温糖、黒糖を買ってつくりました。

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<材料>
●柑橘類
・レモン_2個
・ライム_1個
●スパイス類
・シナモンスティック_ 3本
・クローブ_20粒ぐらい
・カルダモン(パウダー) _小さじ1/2
・ナツメグ(パウダー)_小さじ1/2
・バニラビーンズ_1本
●砂糖類
・三温糖_250g
・黒砂糖_150g
●その他
・水_400ml
・ブラックコーヒー&炭酸水_飲むときの割り材として

<手順>
1.レモンとライムを輪切りにする。

2.鍋に水400mlを入れて、柑橘類とスパイス類と砂糖類を全部鍋に入れる。

3.鍋を火にかける。沸騰したら弱火にして5分ぐらい煮詰める。

4.火を止めて蓋をして、常温になるまで放っておく。
 シン・エヴァンゲリオンを観に行く。「寄りで見れば悲劇だが、引きで見れば喜劇である」っていうけど、これまでのエヴァの「ぼくはつらいんだ」って叫びを一度相対化して、「あの頃のイタかったエピソード」として撮り直してる感じがした。清々しかった。
 これまでは神学的ないし形而上学的なほのめかしに、考察と称してみんな一生懸命ついていこうとしてたけど、今回はちゃんと、そんなものどうでもいいじゃんと言える感じがある。
 エヴァ特有のあのものすごい造形が画面いっぱいに氾濫し、各キャラクターがなにやらシリアスな顔つきで解説チックなセリフを矢継ぎ早に話す状況が、結果的に爆笑を誘う。
 ストーリーがシリアスになればなるほど、それを捉える視点はどんどん冷めていき、全体が喜劇のように見えてくる。最終的にはひとりひとりのキャラクターに贈る言葉まで用意して、金八先生の最終回みたいになってしまった。
「思春期の苦しさはいつか終わる」という極めて普通の話を、とんでもなく時間をかけてやり抜いて、やっぱりいつか終わるんだってことを証明した気がする。生きるか死ぬかくらいきつかった頃の話さえ、いつか笑い話になる。
 ところで、エヴァの考察系の話はさっぱりわからないのであれだけど、彼らが大人になれた原因って、「時間が経った」以外になにかあるのだろうか。
 あと、安野モヨコ氏のルックスを知らなかったので、私はマリを宇多田ヒカルだと思い込んで見ていた。宇多田ヒカルは旧劇場版が完結した1998年の末に、希代の天才としてポピュラーミュージック界に現れた。旧劇場版と新劇場版の間、つまりエヴァンゲリオンの空白期間に日本のポップカルチャーに登場した15歳のシンガーには、まさにシンジたちのようにあらゆるしわ寄せが行くことになる。
 新劇場版というのは、そんな宇多田ヒカルとエヴァンゲリオンが手を取り合って作ってきたコンテンツにも見えてくる。『序』で主題歌をやったかと思えば、『破』からマリというキャラクターになって画面に映り始めた。そんな風に見立ててしまう。

5.冷蔵庫に移して、24時間ぐらい寝かして出来上がり。飲むときは炭酸水で割る。お好みでブラックコーヒーをちょっと入れて、カフェインを足す。
 1998年は、エヴァンゲリオンの旧劇場版が完結し、宇多田ヒカルがデビューした年だけれども、同時にもうひとつ、松本人志の『ビジュアルバム』シリーズが始まった年でもある。そう考えると巨大な綾波と『巨人殺人』がほとんど同じように見えてくるという感じもある。
 この頃は松本人志が、誰にでもわかるものではなく、絶対にわかり合える人にだけ向けてコントを作っていた時期でもある。松本のこの頃の作品にエヴァンゲリオンという補助線を引くと、『寸止め海峡(仮題)』や『ビジュアルバム』といった、わかるやつに確実に伝わってほしいという欲求は、単に松本の作家性なのではなく、時代的な感覚でもあったのかもしれない。
 ただ、もうひとつ付け加えれば、自分を絶対にわかってほしいという話と、誤解含みの自分を受け入れる話というのは、エヴァ以前にサザンオールスターズが見せつけていて、今年『稲村ジェーン』がBlu-ray化するって話もここに無理やりくっつけちゃってもいいと思う。

という感じで、消極的コーラを作りながら『稲村ジェーン』という1964年の東京オリンピックの1年後を舞台にした作品にさかのぼったところで、この記事はまた冒頭に戻るのでした。

文&写真:安藤賛

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