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状況の善悪を判断しない

状況の善悪は、一時的で相対的なものです。速く進むことが目的なのだとしたら、追い風や下り坂が善で、向かい風や上り坂が悪のように思えます。しかし、風向きはずっと同じではありません。上り坂を越えれば下り坂がありますし、逆も然りです。また、反対側に進む人にとっては、この基準での善悪は全く反対になります。

今読んでいる本️(ニュー・アース)に、このことを説明する面白い話がありました。

善だの悪だのというのは限られた見方で、相対的一時的な真実を示しているにすぎない。このことはくじ引きで高級車が当たったある賢い人物の物語を見るとよくわかる。当選したとき、 親戚 知人は大喜びで祝ってくれた。「すごいじゃないか!」と彼らは言った。「きみはほんとうに幸運だ」。当選した男性は微笑んで「そうかもしれない」と答えた。彼は数週間、新車を運転して楽しんだ。ところがある日、交差点で酔っ払い運転の車にぶつけられ、重傷を負って病院にかつぎ込まれた。親戚知人が見舞いにやってきて言った。「とんでもない不運だったね」。またしても男性は微笑んで「そうかもしれない」と答えた。彼の入院中のある晩、地すべりが起こって自宅が海に流されてしまった。翌日やってきた友人たちが言った。「入院中で、運が良かったね」。男性はまた答えた。「そうかもしれない」。

男性は、判断する代わりに事実を受け入れています。「そうかもしれない」と言っているのは、善悪は物事の一面でしかないことや、それを超えたところに秩序があることを知っていたからです。

善悪は、思考、つまり無意識が生み出すものです。苦しさを感じているときは、状況に対して苦しむ以上に、状況に対する思考に苦しんでいることがあります。無意識のうちに「こんなことが起きていいはずがない」「いつになったら終わるのだろうか」のような思考が頭の中を流れているのです。しんどい状況のときは、どういう思考によって苦しんでいるかに気づくことができれば、少し楽になれるのではないかと思います。

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