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習慣・継続の目的

習慣、あるいは継続の目的について考えたい。習慣と継続は微妙にニュアンスが異なる。習慣には自動化されたもの、意識を省略したものという雰囲気がある。一方で継続には、頑張るとか苦しいという意味をうっすらと感じる。なので以降は単に「続ける」と書くことにする。

続けることの目的については、いくつかの考え方があると思う。

  1. 続けることで成果を出すことが目的

  2. 続けることでアイデンティティを作ることが目的

  3. 続けることそのものが目的


何かを続けることによって成果を出すことができる。一日に進む量は多くないけれど、毎日積み重ねれば大きなことも達成できる。続けることは、成果を出すために必要なすべてのことだと思う。

一方で、成果を出すことがすべての目的になると、その過程が苦しいものになる。やらされていると思ってつまらなくなる。やらなければならないと思って重い気持ちになる。やってあげていると思って、不機嫌になって取り組むことを許す。

ついには目的を達成して、つかのまの喜びにひたる。また次の目的を見つけて走る。いつまでも欲求は満たされることがなくて、苦しい。


アイデンティティを作ることが目的だという考え方もある。例えば、小説を書き続けることによって「私は小説家だ」というアイデンティティが生まれる。自分が何者かであるという確信が得られて安心できる。

アイデンティティを先に変えることで行動が変わるということもある。ダイエットをする場合は、行動を変える目標を立てるより、「私は健康的な食生活をする人だ」と考えた方が続けやすいらしい。アイデンティティはそれに合う行動を促進してくれる。

アイデンティティにも危険性がある。何かができるようになりたい、何者かになりたいという欲望が、心を長い間満たすことはない。

手に入れたものもいつかは必ず失う。そういう意味では人は何も手に入れることができない。ある時点では小説家かもしれないが、いつかは字が書けなくなり、考えることもできなくなる。失うときに執着があれば苦しみが生まれる。アイデンティティには欲望と執着が隠れている。


続けることそのものを目的とすることもできる。何かを達成するということは脇において、とりあえず続けてみる。取り組んでいることそのものに意味を見出す。今はこの考え方が一番健全で持続的だと思っている。

続けることは、行為そのものに与える利点がある。例えば、始めやすくなる。たまにしかやらないことは、始めるときに重い腰をあげる必要がある。頻繁にやっていればエンジンがかかりやすい。久しぶりにやることはやり方を思い出す必要がある。

続けていれば余裕が出てきて、より行為自体に集中して楽しめるようになる。続けていると上達していって、次のステップに進んでまた楽しめる。

「手段の目的化」という言葉は、一般的には目的を忘れているというマイナスの意味で使われる。しかし、個人で続けるという観点では、手段の目的化・行為の目的化は上等だと思う。楽しんだり工夫しながらやっていればいつでも満足できる。未来の目的はその上で作ればいい。


何かを成し遂げることや、何者かになることを第一の目的としていたときがあった。続けていれば成果が出て嬉しかった。でも、ほとんどの時間は苦しんでいたのだと思う。

そんなとき、心に意識を向けると楽になることに気づいた。「今はどんな気持ち?」と一日に何回も問いかけているときは調子が良かった。

未来は追いかけなくてもいい。追いかけた未来が今なのだから。ずっと欲しいと思っていたものは、ずっと傍にあった。大事なのは心がどういう状態にあるかなのだ。今まさにやっていることを楽しんで、意識を省略せずに味わいたい。

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