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今しか持てない悩みに感謝する

大人になるとはどういうことか

子供の頃「子供だから〜」「大人になってから〜」と言われたとき、「大人になるとはどういうことか?」と考えたのを覚えている。特にそれは青年期になってからはしばしば思い浮かぶ悩みであり、早く大人になりたいと思っていた。

大人になってしばらく経つと、その問いに対する答えは簡単なものだと分かる。それは「大人になるとは、年をとること」ということであり、ただそれだけのことだった。この答えを子供の頃の自分に言っても納得してくれなかっただろうし、大人に聞いた時に言われたような気もする。

年をとれば見た目が変わり、周りの環境から大人として振る舞うことを要求され、自分でもそうしなければいけないことを理解する。大人として振る舞いつつも、どこか心は子供のままのような気がしながら。

ある本には、成熟の定義は「勇気と思いやりのバランスが取れていること」「相手の考え方や感情に配慮しながら、自分の気持ちや信念を言えること」と書かれている。つまり、自分の考えを頑固に主張するのではなく、逆に全く言わないのでもなく、その間に成熟した人間の精神や振る舞いがあるということだ。

子供の頃、特に思春期の頃は自分のことしか考えていなかった。今目の前にあることに対応するのに必死で、いつも思考の世界の中心には自分があり、周りの人に対する配慮は全くなかった。その頃と比較すれば、今も十分にできているとは全く言えないけれど、気持ちが少し大人になったことを認められるような気がする。

今しかない悩みに感謝する

不確実な未来に対して人々は問いを投げかける。私には今「どのように生きるべきか?」「20代の時間を何に使うべきか?」「これから何をするべきか?」という問いがあり、悩みがある。可能性があるから期待し、また可能性があるからこそ悩みの種になっている。

オードリーの若林さんの著書「社会人大学人見知り学部卒業見込」に、次のような場面があるらしい。

大学生の頃、負の感情が強い自分に悩んで相談したときに、哲学の先生が言っていた。 「若い時は理想を追うが、歳を重ねると相応なものを求めるようになるから安心しろ」

私が今持っている悩みは、子供の頃に持っていた「大人になるとはどういうことか?」という悩みと同じ性質なのかもしれない。大人になってから「大人になるとはどういうことか?」と悩むことがないように、10年後、20年後には、そういえば昔はこんなことを悩んでいたなと、今を振り返ってあっさり思うのだろう。

そう考えると、今持っている悩みは今しか持てないものであり、そのことに感謝すべきなのかもしれないと思うようになった。上に書いたように、悩んでいる原因は可能性があるからであり、その可能性はもちろん前向きにとらえることもできる。今しか持てない悩みのために、そして未来から振り返ったときのためにと考えると、少しは頑張れるような気がしてきた。

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