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「はじめての商業原稿」で大失敗した苦い思い出【どうやってライターになったのか】

今月のトークテーマその2は「どうやってライターになったのか」。僕のライターデビューは、今はなきゲーム雑誌『ゲーム批評』でした。

最初に原稿が載ったのは2000年7月号だったんですが、実はその前に1本、書いたけどボツになった原稿がありまして……正直、今でもなるべく思い出したくない、自分にとっては苦い思い出なんだけど、えー、あー、よし、トークテーマなのでがんばって書くぞ。

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僕の出身大学は静岡大学で、なんでメディア志望なのに地元の地方大学を受けたかというと(普通は素直に都心の大学を受けましょう)、当時まだできたばかりの情報学部に、元日経エンタテインメントの副編集長で、ゲーム批評にもレビューやコラムを寄稿していた、赤尾晃一というオタク教授(准教授)がいたからですね。

赤尾ゼミは学部内でも屈指の「変人ゼミ」として有名で(赤尾先生本人も「ヲタク腐女子収容施設」と自称している)、オタク知識に長け、何よりちょっと前までバリバリのベテラン編集だった赤尾先生は、ゲームメディアを志望していた僕にとっては側にいるだけで刺激的な存在でした。僕も2年間みっちり師事していろんなことを教わりましたが、研究室には当時まだ出たばかりのAIBOや64DDなんかもあったし、漫画家の鈴木みそさんを特別講師に招いてくれたり、「クロスレビューの点数ってホントにお金で買えるんですか?」とかそういう学生の世間知らずな質問にもストレートに答えてくれたり、どっちかというと「授業の外」でいろんなことを教えてくれる先生でしたね。このへんは長くなりそうなのでまた今度。

で、大学4年のある日、赤尾先生からこんなことを言われるわけです。

「『ゲーム批評』の原稿が落ちそうなので、代わりに池谷くん、穴埋めで1本書かない?」

細かいニュアンスは覚えていないけど、だいたいこんな感じだった気がする。今にして思えば、「落ちそうなので」はたぶん、というか間違いなくただの口実ですね。僕がゲームメディア志望なのは赤尾先生も承知していたので、当時の編集長だった小野(憲史)さんに口を利いてくれたんでしょう。待ちに待った商業ライターデビューのチャンスが、思わぬところからやってきたわけです。

出されたお題は、初代PSの「ブライティス」。締め切りはたしか3日後くらい。かなり厳しいスケジュールではあるけれど、1日半でクリアして、残り半分で原稿を書き上げればいける。さあがんばれ当時の俺!

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……ダメでした。(あー書いてて胃が痛い)

「1日半でクリア」はまあ行けたんだけど、さあいざレビューを書こう、となったらピタリと手が止まってしまった。

ゲーム批評は前から愛読していたし、プライベートでも毎日のようにWeb日記(当時はまだブログという概念がなかった)は書いていた。同世代に比べたら、インプットやアウトプットの量では負けていない自信があった。

でも、いざ敵と向き合ってみて愕然とした。「自分で好き勝手に書く文章」と、正式に依頼されて書く「商業原稿」ではこんなにも違うのか!  この一文字一文字に原稿料が発生して、それが最終的に誌面に載り、読者の目に届く。1文書いては「これでいいのか?」「もっといい表現があるのでは?」「プロの原稿として本当にこれで十分なのか?」と逡巡し、書いては消してを繰り返すばかりで一向に原稿は進まない。そうこう言ってる間にも刻々と迫りくる締め切りの恐怖。ちょっと寝て起きたら何かいい書き方が浮かぶかな……と思って仮眠をとるも、いたずらに時間を浪費しただけで特に何も浮かんでいないあの絶望感。もしも過去に戻れるのなら、「これでライターデビューだ!」と無邪気に喜んでいた2日前の自分をひっぱたいてやりたいがもう遅い。オエッ。思い出してたら吐き気がしてきたのでこのへんにしておきます。

結局、原稿はボロボロになりながら書き上げたんだけど、書き上げたというよりは「辛うじて文字数を埋めた」程度で、クオリティについては正直、自分でも目を覆うようなレベルだったと記憶しています(納品した原稿にこういうこと言うのもプロの仕事として最悪だと思うんだけど、さすがにもう時効ということで許してください……)。その後どういうやりとりがあったかは全然覚えていないけど、とりあえず載らなかったことだけは覚えていて、せっかくチャンスを与えてくれた赤尾先生にも申し訳ないし、さすがにこの時はしばらく凹んだ。今でも『ゲーム批評』が詰まった段ボールを開けると吐き気がするので、しばらくどころか今でもまだちょっと引きずってると思います。

ただ幸いなことに、その後もう一度書かせてもらえるチャンスがあり、それで載ったのが僕のライターデビューです。まあ、この「2本目」も、ゲーム批評は「ゲームに点数はつけない」って方針なのに、「もし点数をつけるなら○○点」などとつい書いてしまい、当然そこはばっさりカットされていたり、思い出すと顔から火が出そうなやらかしがいくつもあるんですが……。

その記事がこれ。

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とはいえ、当時は恐ろしく凹んだものの、今思い返してみるとこの「ボツ体験」から学んだことはものすごく多かった。プロとして商業原稿を書くことの責任、ただ遊ぶことと「レビューを書くために遊ぶ」ことの違い、依頼を受けてから書き上げるまでのスケジュール感、「締め切り」があることの恐ろしさ、「寝てもいいアイデアが浮かぶことはまずない」という教訓……などなどなど。赤尾先生について学んだ2年間を振り返ってみても、このとき以上に大きな学びはなかったと思います。本当に、赤尾先生からは「教壇以外」のところで、いろんなものを吸収させてもらいました。あと、今でも「耳をすませば」が好きなのは、多分この経験があるからだと思う。

ということで、僕の「どうやってライターになったのか」を振り返ってみました。自分で言い出したお題なのに、いざ書くとなったらやっぱりめちゃくちゃ辛かったわ!!!!!!!

でもライターに限らず、今現在現役でバリバリ働いてる人にも、きっと大なり小なり似たような、ほろ苦い「はじめの一歩」があると思うんですよね。まあ20年もすればこうして笑い話になるよということで。

今回は全文無料にしておきます。


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てっけん

ニュースサイト「ねとらぼ」の中の人。かつてはゲームライターだったこともありました。

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