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「いつでも帰ってきていいよ」

私は今、家がない。
旅に出ているともいえるけど、やっぱりふつうの旅と違うのは、帰る場所がないということ。

そんな中、訪れた先での「いつでも帰っておいで」は、ものすんごく染みる。もしかするとただのノリとか冗談半分かもしれないけど、そんなことは知らない。私は嬉しい。笑←

嬉しすぎて、本当にまた帰ってきたいと本気で思うし、なんか勝手にそれができると思っている自分がいる。
ここに来ればこの人に会えると。

でも、世の中無常だ。私にもその人にも何が起こるか分からない。まだまだやりたいことがごまんとある中で、人生の残り時間考えたら早めにしとかないとなって思う。
ただただ無謀に新しいところを開拓するのではなく、ある程度の周期で数か所を渡り歩くのもいいかもしれない。

あと、「帰ってきていいよ」が染みすぎて、
いつか誰かに言ってあげたくて、
そのために定住するのもありやなーとか思う。笑

逆に、それ以外で定住する理由が今のところ見当たらない。。

「なんとかなる」はそんなに安くない

私は、けっこう前から「なんとかなる」を座右の銘にしてきた。
あるときどこかでこの言葉を聞いてから、あーいいじゃん!人生なんとかなる!と思って生きてきた。
大学でも、ちょいちょいぶっ飛んだこととか頭のネジゆるいことしてきたけど、友達と話してて「えーそれ大丈夫!?」って言われたら「なんとかなる」って息巻いてた。

でも、今から思うとその当時の「なんとかなる」はすごく無責任だった。

大半の場合、お金で解決してた(なんか聞こえが悪いけど、間に合わなかったら課金する、みたいなそういう感じ)し、まあ言っても運よくそこまで深刻な状況には至らずにきた。
(過去最大はたぶんエジプト旅行笑)

ただ、最近になって、「なんとかなる」の重みが増した。

これまでなんとかなってきたのは、人の助けがあったからだということ、
なんだかんど言って、なんともならないこともけっこうあるということ、
そのうえで、本当に「なんとかなる」と言えるのは、それなりの知恵と力量、経験を積んでからだと思うようになった。

特に何か大変なことがあったわけではないけど、本当にぎりぎりのところでなんとかしてきた人の話とか、40代50代、70代の人の「なんとかなる」って言葉を聞いて、ふと。軽かったなって。笑

もちろん、最後の最後、信じてるけど、それまでの努力と対応力を磨くことは怠るまい。

...ここまで書いて、「なるようになる」だった気がしてきた...私の座右の銘。笑笑
そっちの方が近いな、今の感覚に。
やるだけのことはやって、あとはなるようになると信じていよう^^

日々、もっといろんな感情と気づきに踊らされてる気がするけど、今ぱっと思いつかないので今日はこのへんで。

写真は今日の夕日。元気玉!!
おやすみなさい。

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