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日本縦断歩き旅《富山➡京都編》7日目  『能登半島の先端。ここが日本列島の中心地だ!』珠洲⇒珠洲岬⇒禄剛崎⇒木ノ浦

この日は、能登半島の先端に着いた日。
予定より遅れ、なかなか着かなかった能登半島の折り返し地点。
金沢に真っすぐいかずに苦労した甲斐があり、
色々な見どころがあった充実した一日になった。

民宿で5時起き。
部屋干しの服は渇いてない。
荷物整理していて、いつの間にかレインウェアをなくしている事に気が付く。
北海道から共にしていた物だ。
残念。

スマホで、ニンテンドーダイレクトの放送を見る。

6時に朝食。
安いながらも朝食付きでありがたいのだが、
納豆を追加してもらう。
タレが付いていないタイプの納豆で味気ない。
全体的に量は少ないが、安いながらに用意してくれて助かった。
ありがたい。

民宿を出る時、女将さんが見えなくなるまで見送ってくれた。

コインランドリーに寄る。
内装はキレイ。
1000円で高かったが、この先に無いので渋々使う。
コインランドリーの待ち時間、ソニーの発表をスマホで見ていた。

巨大なホテル!?
内装見てみたい。

真っすぐな道、舗装も綺麗、植木も綺麗に整えられている。
ただ、活気が無く、無人。
景観を独占している贅沢はある。

公園の大規模な遊具を見かける。
誰もいないので独占だ。

遊具をぐるっと一周してきた。
いろんなギミックがあって豪華だった、
子供のころだったらいろんな楽しみがあったに違いないが、
近所に民家は少ない。
車で連れてきてもらった、子供が、親子で楽しむものだろう。

友達どうしてワイワイできる想定の物があったが、
親子ではあまり盛り上がらなそうなギミックもあった。

完全に無人だっただけに勿体ない。

能登半島も折り返し地点に近づき、
能登島や富山側の景色ともお別れ、
ここまで長かった。
不思議と名残惜しい。

晴れで喉が渇き、水分補給の休憩。

飛行機雲。
とても印象的だった。

この橋を渡る頃、『八日目の蝉』を聴いていて、
小説が半分ぐらいになり。
タイトル回収された。

この時の印象は、『火垂るの墓』の影響を感じた。
『儚い虫の死』をタイトルに使っている事と、
迫りくる”終わり”と”育児”。
育児は”未来”を連想するが、
互いに”長くは続けられない終わり”をチラつかせる。

アニメ『東のエデン』の監督、神山健司監督が、
『火垂るの墓』の冒頭、主人公が駅で死にかかっているシーンが無ければ、
”悲劇”だと思わずにセツ子とのみずみずしい2人の生活を見ていたかもしれない。
と、著書で書いていて、印象的だった。

『八日目の蝉』も主人公が犯罪者であるから、
終わりが迫ってみてしまう。
しかし、著者の細やかで丁寧な生活描写が、
2人の生活を続けてほしいと思わせる。

そして『火垂るの墓』も、
高畑監督の細やかな生活描写、
作画監督の近藤喜文さんのみずみずしい演技、
このずば抜けた演出と表現力が、
二人の生活をとても美しく、だからこそ儚く、生活、”生”と”死”を丁寧に描いている。

そういえば、夏だが蝉の声は聞こえない、
コオロギ?の声は絶え間なく聞こえている。
リリリリリとか、
リーーーーンとか。
バッタもよく見る。

ドライバーに道を聞かれるも、地元の人間でない事を告げる。

その少しあと、道の端でポッケに手を突っ込み立ち尽くすおじさんの横を通る。
軽く挨拶して通行するも返事がない。よく見るとポッケでなく股間に手をいれて動かしていた、こわい。


木漏れ日が綺麗。
歩道が無いが車もなく、涼しく歩きやすい。

珠洲岬への入り口に、やたらと案内の旗があり迷う。
パワースポットらしい。
しかし、往復2キロ。
観光もすると、一時間はロスするだろう。
迷ったが、重い荷物を茂みに隠して置いていき。
すこし小走りで岬に向かう。

人気の無い所にポツンと近代的な建物。
思っていたより賑わっていて驚いた。

崖の下には古風な建物。

左側に突き出したビューポイントの小屋があり、
若い女性2人が、「最高~」とはしゃいでいた。

水着になったりして、久しぶりに女性の素肌を見たので、パワースポットそっちのけでそちらばかり気にしていた。

入場料があったが、せっかく来たので中に入ることに。

建物から突き出した橋が見どころらしい。

入場すると案内人が丁寧にアナウンスして説明してくれた。

写真に写っている突き出たところに行ったが、
高所恐怖症でなくても、恐く、
長居せずにそそくさと戻った。

これから行く、禄剛崎だろうか。

岬には風で曲がった木が象徴的だった。

下に青の洞窟なるものがあり向かう。

ライトアップが凝っていて、自撮り目当ての女性が、人がいなくなるのを待っていた。

イタリアとかの青の洞窟のイメージがあったが、
完全にライトが青いだけだった。

写真待ちの人が多く。
あまり人に向けないように、そそくさと写真を撮ったので、ブレている。

洞窟に、白い石があり、パワースポットのパワーストーンとして持ち帰っていいとアナウンスされていたので、一応持って帰る。
吟味してもっとキレイな石を持って帰りたい気もしたが、
縁に任せて最初に触った石を持ち帰る。

なんか、職員がホームセンターで買った石をバラまいているのでは?
と思うほど大きさが皆同じ石だった。

後利益は期待してないが、財布に大事にしまって旅をした。

歩き旅ならではの事だが、全国の”観光”でっち上げ感はところどころに感じる。
地続きに土地を見てきたから、急に”観光”や”伝説”にラッピングされている。

中には地元ならでは事を、何代にも渡って、ずっと守り抜いてきた事も見てきたが、ラッピングがうまくいかず寂れているのも見てきた。

”信仰心”も”継続”も”守護”もなく、
お手軽に”金”と”宣伝拡散”でご利益をうたっていく・・・。

いや、そのことで主願の”信仰”と”継続”を地元の人は守ろうとしているのか・・・。

狼煙までついて、道の駅近くの高評価のカレー屋に入るも、
貸し切りだからと入店拒否される。
悲しい。

隣のカレー屋は気持ちよく入店させてくれて、
カレーを頼む。
これが、この日唯一のまともな食事になった。

道の駅
岬までの山道の為に杖が売られていたのが印象的だった。

山道を登る。
時間のロスで体力も削られる。
だが、せっかく苦労してきた能登半島の先端。
岬に行かざる負えない。

観光客の為に植えられた花々を見ながら登山。

日本の中心地に来た。
日本縦断の旅も半分きた実感が得られた。

灯台。

北海道日本海沿いで縦断した旅が900kmだった。
あの旅の行程が、直線で行けばウラジオストックまで行けると思うとロシアが近く感じられた。

中に入りたかったが営業時間外だった。

下山して野営地へ急ぐことに。

カカシが道路に並んでいた。

日没前に、わりと余裕をもって野営地に着いた。
そこで早めにテントを張った。
虫も少なく、風も少ない。
いい所だった。


オーディブルで聴いていた『八日目の蝉』を最後まで聴いた。

『八日目の蝉』はとても印象に残って、
ここからの旅でも引きずるほどに余韻が残った作品となった。

苦労、波乱の中で「愛」を注いだ物が、
報われず見すぼらしい生活が待っている。

自分も会社で寝泊まりして、周りの理解もなく孤軍奮闘して、
キャラクターを愛し守ってきた事が、
報われず見すぼらしい生活を送る、惨めさがどうしても投影してしまっていた。

摂食障害の女性を愛した事。
報われなくて当たり前、
はじめから解っていても、愛してしまったら献身せざるを得ない。
バットエンドと予感していても。

八日目の蝉の主人公が、
ラーメンを最後の一滴までありがたく食べるシーンが深く刺さる。
「愛」や「奉仕」が報われず、かえってみすぼらしい生活に追われている人はたくさんいるのかもしれない。
しかし、美しい海の思い出は海と共に残った。


想えば、日本海にでて、海の波が強くなった気がする。
能登島側はなぎに近く、高い波は見なかった。

20時ごろテントをでると満点の星空がみえた。
とても迫ってくるような近さを感じた。
月がなく、月が無いゆえに星々が強く感じたのかもしれない。
月を探すと海の水平線近くで赤く燃えていた。

23時、テントの近くにギーギーと鳴く動物の鳴き声。
鳥?カラス?猿?
どれも近いが聞いたことない。

この辺りは交通量も全くなく、なにかあったら助けは無い。
孤独の快適さもあるが、孤独の恐怖も感じた。

スマホの音量を大きくしてラジオ代わりに付けたら、
外の動物の鳴き声は止んだ。

能登半島の先端。人がかなり少ない空間で、
孤独の満喫と、孤独の恐怖を感じた夜だった。


この日歩いた距離 28km

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