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見えない世界・闇の力⑵――飯のタネにならん学問

前回の続き。だが、E・H・エリクソンという精神分析家の『青年ルター』という本に、興味ある一節を見つけた。少しわき道にそれるが、そこから話をつないでいこう。長い引用で申し訳ないが、こうである。

若い患者たちは(並はずれた青年も)、自分自身に対し世界に対し、完璧主義的[トータル]な要求を抱いている。意味深い未来か、あるいは無意味な過去か、絶対的な徳か、さもなくば過激な悪徳か、自分の独自性を育てるのか、それとも奈落の自己喪失に向かうのか。そうした切実な問いの前で、彼らは日々、自らを確認し、確認してもらいたいと思っている。

日本でも前世紀の変わり目辺りから煩悶青年が増え、後の左翼運動や昭和維新運動の指導者にはそうした煩悶世代が多いことについては何度か書いた。宗教改革の嚆矢となったルターもまたそうした青年であったらしい。引用を続けよう。

そうした深刻な苦悩の中にある青年たちが求めているのは、患者用の長椅子ではない。彼らは私たちと向き合うことを望んでいる。それも、親代わりとしてではなく、援助の専門家という仮面をつけてでもなく、ただ一人の人間として向き合うことを求める。向き合うことによって、生き直すにせよ絶望するにせよ、直接的な関係を求めるのである。

この「直接的な関係」をレヴィナス風に解釈すれば、煩悶青年が求めているのは「~を」という対格の関係ではなく、「~よ」という呼格、「~に」という与格の関係ということになる。それは主体と対象ではなく、対等な立場にある二つの人格のあいだの関係である。

医者が患者と対等というのもおかしな話だが、エリクソンによれば、そうした青年に向き合うことは、精神分析家にとってもまた貴重な経験なのである。

そうした葛藤した状態の青年と突然に出会う時、精神分析家は、問題と取り組むのではなく、一人の人間と直面するとはいかなることなのか、初めて学ぶことになる。

つまり、精神分析における患者というのは操作・支配の対象に限られず、自分の自我を外に開いてくれる存在でもある。

青年マルティンはこの精神的な危機にある解決を見出したのであるが、それがたまたま時代の宗教的危機に対する歴史的解決ともなり、偉人ルターとなったのである。煩悶、宗教、革命という近代史を理解する上で不可欠の三種の神器(と自分が勝手に思うもの)がここにすでに出揃っているじゃあないか。

宗教、哲学、芸術などといっても、当時は今のように整然と細分化されてはいない。ファンタジーや科学なども広い意味での哲学・宗教のなかにまだ含まれえた。妙な話に聞こえるかもしれんが、ルターや他の煩悶青年に向き合うと、今日、ファンタジーや陰謀論が好きな人間がなぜ多いのか、もしくは社会科学などを勉強したいなどと思う人間がなぜいるのか、ということもよりよく理解できるようになるかもしれない。そうした「顔」に向き合うことにより、対象として「彼ら」を知るだけでなく、「わたし」の思わぬ側面が浮かび上がってもくる。

こんな話を挿んだのは、9月は多くの若者にとって憂鬱な季節であるからだ。ただいま煩悶中の人には大した慰めにならんのだが、煩悶していることを恥ずかしく思うことだけは不要である。笑われるべきはそれを無意味であると笑う人間の方であるということだけは確実に言えるからである。

しかし、自分が書きたいのはルターではなく柳田国男であった。彼もまた彼なりに煩悶したのであり、そこには啓蒙思想とロマン主義の相剋が影を落としてる。
――――

いつぞやも書いたが、自分にとって柳田は一つの「謎」である。二十世紀初頭、日本が近代化の道を邁進し、またそれに成功しつつあった時代である。帝大法科出身の高級官僚がお地蔵さんだの河童だの毛坊主だのについて大真面目に調べて、くだくだと長文を書いているのである。「巫女考」などという論文を初めて読んだときは、一体これは何かの冗談なのかと疑ったものだ。

更なる謎は、そんな柳田が書いたものに惹かれてしまう連中が、今日に至るまで尽きないということである。そして、彼らの多くもどちらかというと教養豊かな人々なんである。そういう自分も、いつの間にか柳田の文章の魔力に取りつかれた。ミイラ取りがミイラになった。だが、なぜ自分はこんなものにスリルを感じるのかと自問してみても、うまい答えが出てこない。

だから、自分にとって「謎」とは二つある。一つは、いったい柳田という男はどうしてあんな役にも立たんようなことに心血を注いだのか。最初は趣味として始めたとしても、そのうちに「学問救世」などという大げさな話になっている。もう一つは、柳田の文章が読み手にとってもつ魔力の源泉は何かということである。どちらも「個人の好みでしょ」で片づけるにはもったいない、「深み」をもつ問いなんである。

これはまた、なぜ柳田を古典として読むのか、歴史家でもない者が、一世紀も前に書かれたをものを読み続けるべきなのか、という問いにもつながってくる。さらには、柳田が研究の対象とした伝統的農村共同体はほとんど解体した今日、民俗学というのはいかなる意義をもっているのか、というより現実な利害の関わる問いにもつながる。今日、一部専門家の趣味と実益を兼ねる道楽として以上の意味をもつのであろうか。

要するに、民俗学とか民族学(文化人類学)とか呼ばれる学問はどうして生れてきたのか、その存在を正当化した条件はもう失われているんじゃないか、という問いでもある。そんなことは専門家に聞けばすらすらと答えてくれそうなものだが、プロの学者というのは、実はかえってそうした根本的な問いには冷淡である。

学問の世界の二代目、三代目にとっては、自分の専門などというは外から与えられたものである。物心ついたころには民俗学者や民族学者と呼ばれる人々がいて、そうした名で本が出版され、大学でその名を冠した講義がなされている。「○○学っていうのがあって、ちょっと面白い。これなら自分もやってもいいな。それで飯が食えて、しかも人から尊敬されるんであれば、まあ悪い商売じゃない」くらいの意識しかない。

そして、学問もひとたび職業になれば、飽きてしまっても食い扶持のために惰性で続けるのは他の仕事と何のちがいもない。なぜおまえは○○学をやると問われて、「食うためさ。他にどうしろというのさ」と平気な顔して答える学者の方がよほど数を増やしておる。要するに、自分がそれで飯を食ってるという事実を別にすれば、自分が教えることに趣味道楽以上の意味があるとは実は信じておらぬ。そんなだから、こんな学問はもういらんよと言われるようになっても反論する能力も気概もない。「まあ、仕方ないな」という敗北主義に容易に屈して、自分らの特殊利益だけを心配する最悪の既得権益団体に堕する。

これが創始者となると話がぜんぜん違う。「なぜチョコレートが存在するか?」と問われて、「おいしいから」という答えしか出せないような人ばかりであったら、チョコレートを考えて普及する人など出てくるはずがない。学問も同じで、そこらの草木のように自生するものではない。世間で認められていないことを研究したところで飯の種にもならんし、地位も名誉ももたらさない。文字通り食うや食わずで人知れず血のにじむような努力を継続する先駆者がいたから、今日の学問が今日ある形であるのである。

柳田の場合は経済的には比較的恵まれた条件で学問ができたのであるが、ミンゾクガクを世に認めさせるために注いだ心血の量はやはり半端でない。それでも結果的にエライ先生となれたのだが、「変人奇人」で終わる可能性も十分にあったのである。

だから、柳田がこの変な学問を始めたことには、何か深い理由がある。柳田自身、トータルなものを志向する傾向があり、煩悶青年に近い気質をもっている。彼はギリギリ煩悶流行の前にエリート・コースの乗ったクチであるが、同い年の如是閑がいみじくも述べたように、彼らもまた反発しながらも、やはりこの煩悶青年というカテゴリーに「片足を突っ込んでいたので」ある(『ある心の自叙伝』)。

柳田も学生時代には詩や小説などを読んだり書いたりしているし、国木田独歩や島崎藤村のような煩悶青年のさきがけのような人々が彼の仲間であった。そして、この煩悶する文学青年たちが惹かれたのがロマン主義であった。

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