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【思い出ぼろぼろ】山本夏彦「本と人 くんずほぐれつ」

 新年早々に「埃っぽい話」を綴る不心得をお許し下さい。
 此度は、私が心の師として慕ってやまない先達について綴っていこうと思います。それでは、お時間のある方はお付き合い下さい。


くんずほぐれつ

1:師走の本棚整理 

 毎年秋冬に実施している種々雑多な事物じぶつの整理・・・。
 ことに「冬の整理整頓」に関して言えば、大掃除予定日の1週程前から、アトリエの机や作業台の上の道具や材料、そして本棚の精査・分別を行うのが恒例の段取りになっている。

 かくして、去る年末の本棚整理は、永年の目標「本を検索し易い状態にする!」を実現すべく、これまで保存版的な扱いをしてきた年代物の雑誌や建築関係の専門図書を中心にスリム化を図ることにした。
 整理は順調に捗った。けれども、作業の終盤になって、とある専門雑誌の処分に着手した途端、手の動きが鈍り始めてしまったのだ。

処分する雑誌から残したい記事だけ切り取ってスクラップ

 その専門雑誌とは、私が尊信している先達のひとり、山本夏彦やまもとなつひこが編集・発行人を務めた「室内」のことだ。
 今となっては「室内」と言ってもピンとこない方も多かろう。この専門雑誌を購読していた読者の多くは、主に木工関連(建具、家具・調度品)のデザインや設計・製作に携わる人々であった。かく言う私もまた、造作家具の知識を得るために1992年から同誌が廃刊となる2006年まで購読していた。

 然るに、10余年を越えて月刊誌を購読すればどうなるかは自明の理だ。長きに渡って本棚を占拠していた「室内」を、いつまでも本棚の肥やしにしておくわけにもいかず、折に触れて少しづつ処分してきたわけで・・・。
 そして迎えた去る年末である。「もはや未練がましい真似はすまい!」と覚悟を決めて作業を始めたまでは良かったが、思い出深い「号」を目にする度に表紙を眺め、そして頁を捲ってしまう私なのであった。

最後の最後まで本棚に遺していた「室内」をとうとう処分

2:「日常茶飯事」との出会いは苦かった

 私が「室内」を購読し始めた1992年は、そこはかとなくバブルの残り香が漂っていた時代だったと記憶している。
 当時、飯田橋を勤め先にしていた私は、平素から神楽坂界隈の夜の賑わいを横目に仕事していたこともあってか、景気の陰りを敏感に感じることもなく、社会人2年生として目の前の仕事を懸命にこなしていた。

 そんな日々を過ごす中、打合せ先から帰社する途上で立ち寄った神保町の三省堂書店で「室内」を見つけたのである。建築系書籍を集めた本棚の前に平積みされていた「室内」の佇まいは、夜の神楽坂を派手にめかしこんで闊歩している婦女子やその取り巻き達とは真逆な雰囲気をまとっていた。

【整理前】背後の列の本が見えない状態(大分減らしてきたのだが…)

  帰宅して読み始めた「室内」は、三省堂で見た時と同じ印象「地味だけど実直な情報や資料が載っている雑誌」の枠を出ることはなかった。
 その後、数日をかけて「室内」ならではの記事を反復して読み終えた私は、箸休めの様に掲載されているエッセイやコラムに目を通すことにした。
 するとどうだろう、業界専門雑誌には似つかわしい印象のする、それも独特のクセがあり、妙に引っ掛かってくるコラムが目に留まったのである。

【整理前】文学作品の単行本や民俗学系の文庫・新書が混在する本棚

 そのコラムは日常茶飯事にちじょうさはんじといった。
 最初は「なんか嫌味っぽいな。」という悪い印象が勝ってしまった。当時20代前半の私にとって、山本夏彦が書く文章は「良薬口に苦し」以外の何者でもなかった。どうかすると、体の痛い部分をつねられているような気分にさせられて嫌だったのである。

【整理後】民俗学・歴史関連図書を横2枠の棚に集約(今後も地道に整理する予定)

 さわさりながら、山本夏彦という「気になる老人」を発見したことによって、「室内」の見え方が大きく変化したのは明らかだった。かくして、この「日常茶飯事」というコラムは、私が「室内」を読み続けていく上で、大きな動機となっていくのであった。

3:キーマン現る

 それでは、何故なにゆえ二十代の血気盛んな若者が、嫌味な老人の手によって書かれた作品を好んで読むようになったのか?
 それには、ちょっとしたきっかけがあった。

 私が「室内」を購読し始めた当時、同誌には幾つかの名物コラムやエッセイが掲載されていた。それらの面子の中で、ひときわ異彩を放っていたのが、安部譲二のエッセイであった。
 何故、安部譲二のエッセイが「室内」に?
 そんな疑問が湧いたとて無理はなかろう。でも、その疑問の解決は早かった。それは当時、既にベストセラー作家になっていた安部譲二の著作やインタビュー記事を読めば直ぐに答えが分かったからである。

 幾つかの反社会的な犯罪によって刑務所に服役していた安部譲二は、府中刑務所内の木工作業所で刑務作業に従事していた。そして、作業所で唯一読むことが許されていた「室内」を手に取った安部譲二は、時を経ずして山本夏彦のコラムに魅了されてしまったのであった。
 出所後に足を洗った安部譲二は、文筆業に活路を見い出そうと足掻き出す。しかし、前科者が書いた小説を世に出してくれる慈悲深い出版社が存在するわけがなかったのである。

 そんな苦境に立たされていた安部譲二に手を差し伸べたのが山本夏彦であった。彼は、自身が編集し発行している「室内」に「府中工場の面々」を連載させた。後に、この作品は「塀の中の懲りない面々」として文芸春秋から出版され、ベストセラーを記録することになる。それは、安部譲二が足を洗ってから6年余の時が流れた1987年の事であった。

4:気になる先達の人生を遡る

 この単なる美談には納まらないエピソードは、私の心に響いた。
 誤解を恐れず物を申せば、やはり「許し」と「救済」は人の世における永遠のテーマなのだと思う・・・。
 そんな感慨は別にしても、この逸話に触れたのを境に、私は「この山本夏彦って爺さんは何か違うぞ?!」と思い始めるのである。

 とまぁ、こうして山本夏彦の探求が始まったわけだ。
 探求と言っても、まずは手あたり次第に出版されている本を買いあさるしかないのだが、慢性的な金欠病を患っていた当時の私は、図書館利用を余儀なくされた事は言うまでもない。(今も同じか?!)

「日常茶飯事」の中で一番好きだった樋口氏との対談記事「葬式」
 山本夏彦は対談の名手だった

 探求は非常に有意義で、楽しい時間を提供してくれた。
 勿論、有体な事柄(文学賞の受賞歴など)は早々に分かった。しかし、意外な情報に辿り着くには、やはり数冊の著作を読了せねばならなかった。
 その中で、恵まれた境遇に育った彼が、非常に不安定な精神状態にあったこと、そして当時の文化人に多く見られた「かぶれる」という一形態を示していた事実を窺い知ることができた。

 でも、こうした情報は、あくまでも彼の人型ひとがたを示しただけに過ぎず、私が山本夏彦に触れたことで湧いてきた興味や、雑誌「室内」から受けた違和感に繋がるピースを見つけたという感覚は皆無だった。
 ただ、幾つかの著作に触れていく中で、彼が極めて対談上手であることを知った。それは、山本夏彦という波乱万丈を乗り越えた先達の人間的な器を表している様に思われ、当時の私にとってはある種の衝撃でもあった。

5:真意は本人しか分からない

 山本夏彦の来歴にあって「室内」の創刊(1955年創刊当初は「木工界」)は、周囲の人々に著しい違和感を与えた出来事であったに違いない。
 その違和感とは、山本夏彦が歩んできた経歴と木工業界が全く繋がらないという一点に尽きよう。
 この脈絡を感じさせない人生の展開は、木工の専門雑誌として創刊した「室内」に、曰く難い違和感として存在し続けたように思う。

跡を継いだ山本伊吾の役割は「50周年」を越えることだったのか?

 結局、私は探求こそすれ、山本夏彦の真相には迫れなかったのだと思う。
 さわさりながら、なけなしの時間を費やして探求したのだから、何某かの結論には至らねばと、当時の私は頭を振り絞った。そして、私論の域を出ないまでも一応の結論(以下)を捻り出したのである。
 ※ここまで読み進めてこられた方は、笑ってお付き合いください。

 何故 山本夏彦 は「室内」を創刊したのか?
 結論
 山本夏彦は、自らの文芸活動の先行きを見通した上で、自身の言論の場・表現の場を確保するために「室内」を創刊した。
 また、あえて門外のジャンルに表現の場を求めたのは、初心の維持と刺激を求めた結果であり、且つ、門外漢だからこそ許される自由闊達な表現に可能性を見い出したであろうことも想像に難くないのである。

後日談:探求を終えてから10年近く経った後に、この違和感が解消しかかったことがあった。
山本夏彦が永眠してから2年余後(2005年)に迎えた節目の「50周年記念号」に掲載されたコラム「室内50年こぼれ話」の中で、山本夏彦が発した「なに、死ぬまでの暇つぶしです。」という一節を見つけた。その瞬間、私は反射的に興奮した。けれども、落着いて考えてみれば、この煙に巻くような言葉には、照れ隠しと幾許かの本音が含まれているに過ぎないと考えを改めるに至った。

6:「茶の間の正義」という本

 1967年に文藝春秋から出版された「茶の間の正義」という作品がある。
 私は、この地味な題名の作品を、探査の初期段階で図書館から借りて読んだ。夏彦節全開の本だったので、直ぐにでも購入したかったのだが、本屋で見かけることが無かったため、本棚に加えることができなかった。
 私が入手できたのは、後年(2000年頃)になって再版されていたことを偶然知ったからである。それ以降「指南の書」として手元においてきた。

現在、中公文庫から再版されている「茶の間の正義」

 私が「茶の間の正義」を手放さずにいる理由は単純だ。
 「茶の間の正義」は、私自身が生まれた頃(1968年)の息吹を感じることができる「タイムマシンのような本」だったからだ。加えて、熱に浮かされた時代の空気から適度な距離を保つことができた才人ならではの語り口が、世間の荒波に揉まれ始めたばかりの若者の琴線に触れたからでもあった。

 今を生きる若人にとって「茶の間の正義」の様な本は、埃を被った民具の如き「老人の戯言」のように思えるやもしれない。それは無理からぬことだ。当時の私とて、最初は似たような印象を持ったのだから。
 しかし、私自身は、山本夏彦との邂逅かいこうによって、人と人との間に生じる乖離かいりをひとまず飲み込めるようになったと感じている。言い方を変えれば、他人様との向き合い方の賢明な方法を教えてもらったと解している。

山本陽子氏によるチャーミングなあとがき

7:人と人「くんずほぐれつ」もまた楽しからずや

 私が「室内」で体験したような、著者(作品)と読み手の間に生じる乖離かいり、或いは感情の縺れもつれといった様な事象は、かなりの頻度で発現していると思う。

 落ち着いて考えてみれば、人と人の出会いも似たところがある。
 出会った時の第一印象なんぞ、余程の担保が無い限りは信用に足る情報には成り得ない。せいぜい判断の一要素になる程度だろう。
 自身を振り返ってみても、長くお付き合いしている知己友人の半数は「第一印象が悪い人間」だったりする・・・ここだけの話。

 多少歳を食ったからとて、訳知り顔で語るつもりは毛頭ない。
 とかく人の世は、乖離や縺れもつれが存在しているからこそ味わい深いとも言える。昨今なれば、混沌がデフォルトなのだから尚更だ。それが故に、生き辛くもあるのだけれど、その乖離を縮めている最中、若しくは、その縺れもつれを解いている途上の楽しさ(充実)も確実にある。
 これは何も大きな世界を語ろうとしているのではなくて、極々身近な世間様のことを綴っているまでのこと(微笑)。
 私をそんな思考に至らせてくれた発端のひとつに、山本夏彦という「洒脱と皮肉を兼ね備えた先達」がまぎれもなく存在している。 

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